部下と学生

 冬学期になり宮城大学まで週1回日帰りで通っている。ドアー・ツゥー・ドアーで3時間弱の通勤時間であるが、新幹線とバスの中で本が読めるので苦痛は感じない。仙台郊外の山の麓にあるので、緑に囲まれ、着くとホッとする。人にぶつからないように神経を使って歩き、都庁前と中央公園のホームレスの方々に人生の厳しさを感じさせられる新宿への通勤とは大変な違いである。更に嬉しいことに、帰りがけに仙台の知人と晩飯をごいっしょ出来ることである。先週もゼミの卒業生達と「はやて」の最終の時間まで話をすることが出来た。
 銀行から大学に転職して7年になったが、「厳しい上司」だった割には「優しい先生」になったつもりである。上司と部下は協力して結果を出すことが求められているのであるから、「厳しい上司」で当然であり、学生は授業料を払うお客さんとも言うべき存在であるから、「優しい先生」になって当然であろう。部下とヘラヘラとバカ話ばかりしている上司は失格であることを忘れ、軟弱な部下の甘えを認め、私に「厳しい上司」というレッテルを貼り付ける愚を犯した組織は厳しい状況変化を生き延びることが出来なかった。ダメな部下には「厳しい上司」ではあっても、真面目な部下のことはイロイロ考えてやったつもりである。例えば、留学などの機会を作ってやった部下からは、東大、早稲田、慶應、明治、立命館、青学などの国内大学のみならず、ロンドン大学フロリダ大学で教授になったものも出ている。このような優秀な部下達を正当に評価し十分に活用出来なかったことも、あの銀行が凋落してしまった原因のひとつである。専門知識のない文科系の無能なジェネラリストには、MBAですら使いこなすことは出来なかった。振り返ると、返す返すも残念である。
 日本は教育でその近代化に成功したと言う外国人は多くいるが、その日本の教育の状況変化への対応の遅れは大変に深刻である。「厳しさ」が本当の「優しさ」であり、強くなければ優しくなれないことを理解すべきである。