国際感覚のリタラシー

 前回は「金融リタラシー」を述べたが、最近の事例により「国際感覚のリタラシー」を考えてみたい。

 先ず、オリンパスの事件である。エンロンワールドコム、リーマン等々、世界にはオリンパス以上に酷い強欲資本主義や企業統治の前例がたくさんあり、オリンパスもその一例に過ぎず、日本人総懺悔といった問題ではない。本件でビックリしたのは、バブル崩壊の後遺症と死語になったと思っていた「飛ばし」が現存する問題として、日本を代表する企業で表面化したことである。しかし、それ以上に驚いたことは、粉飾問題を持ちながら何故価値観も確認しないで、外国人を社長に選出したかという点である。多くの日本人や中国人は生まれた時から無宗教で、自分の打算で行動することが多い。これに対して、普段は教会の塀に立小便をするような二流のイギリス人であっても、天の目を意識して、ある線以上の妥協は絶対にしないことが多い。子飼の日本人と子飼のイギリス人の違いを認識できないような「国際感覚のリタラシー」の欠けた二流の日本人がオリンパスの前任経営者であったわけである。こんな間抜けな日本人が経営者に成り上がってしまうから、ソニーや日産の経営が二流ガイジンの手に渡ってしまった。オリンパスにはそうなって欲しくない。
 次がTPP問題である。交渉の場に参加し、協定の内容が明確に固まってから、批准するか否かを議論するのが当然のプロセスで、協定の内容が未確定の段階で、動脈硬化を起こし、オラが村のことしか頭に無いような反対論を仲間内だけで展開するのは甚だしく「国際感覚のリタラシー」に欠けた行動である。アメリカは京都議定書すら批准してないし、国連を実質無視するのはアメリカに限らず、最近は中国、ロシアがそれ以上に甚だしくやっている。それが国際政治というもので、小さなコップの中で言葉の揚げ足取りをやっていても意味が無い。世界の孤児になるだけである。
 世界に輸出して豊かになった経済大国日本が、未だに一人前の「国際感覚のリタラシー」を持ててないのは不勉強な国内派が多数派であることが原因であろう。苦労した技術屋や国際派が稼いだ富の分不相応な分け前を貪っている国内派にはそれが理解できてない。