「未だ」は「もう」なり、「もう」は「未だ」なり

11日からウィルス性胃腸炎に取り付かれて、2週間近く寝込んでしまった。風邪の一種だということであるが、これほど苦しい風邪は初めてで、最初の二日間はひたすら嘔吐し、次の五日間は点滴と運動飲料で生き延び、食べ始めると下痢が始まり、未だに続いている。
 この間に、同年輩の友人3人の訃報を聞くことになったが、葬儀にも参列できなかった。法定老人年齢のスタートとも言うべき65歳は、「未だ若い」と言われたり「もう御歳ですし」と使い分けられる奇妙な年齢で、生きているのが面倒に感じる病気の時に、同年輩の訃報を聞かされること陰々滅々といろいろなことを考えさせられてしまった。
弱気に傾くと「名利に使われてしずかなる暇(いとま)なく一生を苦しむるこそ愚かなれ」(徒然草)と、老後の生活の目処がたつと直ちに現役を退いてしまった知人の生き方が妥当なように思われてくるし、体調が回復してくると、私を超える人間はそう沢山はいないはずだから、「生涯現役」で前を見続けたまま棺桶に入りたいものだという思いが戻ってくる。そして世間は、「未だ」は「もう」なり、「もう」は「未だ」なりという対応を示してくる。病み上がり早々に、若い人に利用され、ピエロを演じたように思われることがあったが、「お若いの、上記の徒然草の一節をご存知かな」とばかり、若い時ほどに不愉快なことに抑えきれないような怒りを感じることはなくなってきた。
「未だ」なのか「もう」なのか、それが問題だ。