金融技術革命

 金融ビジネスの論客で知られるY先生からいただいた年賀状に、「金融工学のパイオニアからご覧になると、今の金融動乱はどう眼に映るのですか?」との添え書きが付けられていた。確かに、ここ3年ほどはあまり金融技術に関して、雑誌論文のような形で発言していない。理由はふたつあります。

 第一の理由は、サブプライム問題で注目を浴びている金融工学の問題点については、長年にわたり金融工学の限界を指摘してきた立場から、「強欲な連中がついにここまでひどいことを引き起こしてしまったか」という怒りと無力感を強く感じております。私が最初にまとまった本を出版したのは、1996年の「金融技術革命」であり、これは後にノーベル賞を受賞されたR.マートン教授との編著の形をとらせていただいた。この本の狙いは、マートン教授の啓蒙的論文を翻訳し、教授の力を借りて、世の中に金融工学の限界を理解してもらうことにあった。私は既にこの本の前書きに、「金融技術革命の理念ともいうべき金融理論は、自然科学の理論ほど、確かでもなく骨太でもないように思われる。また、実体経済の何十倍もの金融・為替取引が行われ、実体経済を振り回している現状は、不健全であるようにも思われる。今後の展開は、現在やや停滞気味の理論がどのような展開を見せるか、それを実務家がどのように消化し、実用化しようとするのか。そして社会システムがどのような金融・証券サブ・システムの形成に成功するか否かにかかってくるように思われる。」と記している。この本を書いたのは、86年から本格的に金融技術開発の業務に取り組み、その部門の責任者になっていた時期で、金融技術業務をプロモートしながら、同時にその限界を指摘しておかないと大きな期待感の反動的批判が起こるであろうことを既に予見していたからであった。私は、「金融工学」という実態から乖離した誤解を招く用語を、自ら積極的に使ったことは一度もない。もっとドロドロした実体を示すべく「金融技術」という言葉を使い続けてきた。この最初の本から今日まで、「金融技術」の光と影を述べてきたつもりであり、その後の論文や著書を見ていただければ、私の立場は一貫しているし、その事実に強い誇りを感じている。薬も大量服用すれば、毒になるというだけの話であるし、金融技術という薬の研究開発にまじめに努力している後輩も多いだけに、一方的に金融工学を批判すれば良いという問題でもない。また、私にはI told you the problems long time ago. と叫ぶより、やるべきことがあった。

 第二の理由は、ある事情から、ここ3年近く映画ファイナンスのビジネスとしての可能性を研究するというやるべき課題があったことによります。ファイナンスの基本は、現在の資金と将来の資金の交換であるから、投資リスクが高過ぎれば、まともな資金を利用することは出来ない。本場アメリカの教科書に曰く「映画ファイナンスはギャンブルである」とあるわけで、どのような映画に投資すれば、十分なリターンが確保できるかの基礎研究として400本近い映画を観ることになった。映画評論家になるには、1万本の映画を観ることが必要と言われる世界だから、3年近くで400本では不十分ではあるが、DVDで2度以上見る必要のある作品もあり、莫大な時間を取られることになった。それでも、「この映画に投資すれば、素晴らしいオルタナティブ投資になりますよ」と言うだけの自信はとても持てていない。映画ファイナンス研究はそろそろギブ・アップすべき時期かもしれないとも考え始めている。

 Y教授、これがお年賀状添え書きへの回答です。本年もよろしく。