「金融恐慌本」読み比べ(1)

 昨年の暮れから、最近目に付きだした「金融恐慌本」の大雑把な読み比べを始めている。このブログで既に書いているが、サブプライム・ローン問題のポイントは何も調べなくても長年の経験で分かる。しかし、私はサブプライム・ローン問題を過小評価してしまったし、昨年の後半に起きたような世界中の資本市場での暴落や「円」のドル以外の通貨に対する大幅な独歩高も残念ながら見通すことが出来なかった。現時点で本当に「恐慌」を想定する必要があるのであろうかというのが、「金融恐慌本」をざっと読み比べ始めた動機である。途中でウィルス性胃腸炎で寝込んでしまったので、予定に遅れているが、それでも既に10冊以上は呼んでいるので、忘れないうちにメモ替わりに書き始めることにした。また、ゴタゴタ言われるといやなので、書名を書き出す本は読むに価すると考えた本で、ゴミクズのような本の書名は書き出さないことにする。
 先ず読んだのが、みずほ総合研究所の「サブプライム 金融危機である。銀行系総研らしく手堅く誠実に纏めていること、早い時期に出版されたことの2点は高く評価できる。次いで、チャーズ・モリス「なぜ、アメリカ経済は崩壊に向かうのか。信用バブルという怪物」。読みやすく書かれているが、著者が実務経験のある評論家であるので、単なるジャーナリストのお勉強の記録とは違う。私がサブプライム問題を過小評価したのは、サブプライム・ローンの残高はたかだか1.5兆ドルで、住宅抵当付だと考えてしまったことにあったが、本書はそれがCDO(債権担保証券)、CDS(信用リスクデリバティブ)、信用保証等々を通じて信用バブルの崩壊につながっていく過程を見事に整理してくれた。そして、「80年代以降のシカゴ学派主導の市場重視型が問題の解決に役立つ考え方ではなくなり、問題そのものになる時期が来たのだと思える。四半世紀にわたった市場重視の時代は終わり、振り子が逆に振れる時代がきたのである。」と結んでいる。将に期待のオバマ政権である。他方、CDSの定義すらまともに書き出せないで恐慌前夜と騒ぐデマゴークは恥を知るべきである。
竹森俊平「資本主義は嫌いですか」は、ここまでの読み比べで、もっとも高く評価している。考えすぎた題名が非常にミスリーディングであるのがもったいないが、学界の注目すべき議論を丹念に整理してくれており、モリスの本の理論篇の側面もある。神谷秀樹「強欲資本主義」に強く同感してしまう実務上がりの私に、経済学者が問題をどのように整理するかを教えてくれた。序文に、F.ナイトを引用し、「発生確率が予想できる危険をリスクといい、それが予想できない危険を不確実性という」とし、「単なるリスクを扱っていては、競争により利潤が消滅するので、金融機関は利潤の源泉を求めて不確実性の世界に踏み込み、サブプライムやもっと怪しげな、データの蓄積が不十分な別の金融新商品を開発していたはずである。」という指摘は非常に鋭い。「金融技術革命の理念ともいうべき金融理論は、自然科学の理論ほど、確かでもなく骨太でもないように思われる。」と前回のブログに書いているが、同じようなことを言っているつもりである。竹森のミスリーディングな題名のこの本は、一読に値する。