力になってやれない問題

 学生、卒業生や知人から、私では力になってやれない問題の相談を持ちかけられることがある。勿論、この逆に、私の方から力になってもらいたいと知人に連絡をとることもある。
 この場合の対応として、①相手にせず黙殺する、②十分に時間をとって話を聞いてあげる、③ベターな対応が期待できる知人を紹介する、等の選択肢を考えることが出来る。

 これまでの私は、②を選ぶことが多かったように思うし、①は最も望ましくない対応であるように思っていた。最近、私の方から力になってもらいたいとコンタクトすることが増えてから気が付いたことは、②の対応は相手に期待感を持たせてしまい、相手に無益な準備と時間の浪費を強いてしまうと言うことである。影響力のありそうな人物が、時間をとってくれると、何か良い話が聞けるのではないかと、資料を準備し、期待感を持って臨むことになる。しかしながら、それなりの時間を使い、わざわざ面談していただかなくとも分かっていたような非生産的な結論になることの方が圧倒的に多い。人の力になってやれることは、多くない。だとすれば、①の冷たい対応は、必ずしも悪い対応とは言えなくなる。
 齢をとるに従い、影響力とこれからの可能性が減少していくことは否定しようがなく、①の対応を採られると冷たさがひときわ身に沁みないではないが、②の弊害も小さくない。現在、私は二人の人物に対して①の対応をしており、別の一人にはやり過ぎるくらい②の対応をしている。②の対応をし、無理筋の話をお願いに行き、読み筋通りに断られてしまうことが重なると、こちらまで落ち込んで来てしまう。自衛の意味からも②をあまり増やすことは出来ない。
 結局、余計なことを聞かずに③の対応を採ることが、最もスマートであると思う。これは、頼む立場であっても、頼まれる立場にあっても言えるように感じている。