良い年でありますように・・・

 父が亡くなったこともあり、年賀状を失礼する年が続いています。昨年は、期待していた良いことが実現しなかったという意味で、あまり良い年ではなかったので、今年こそは良い年であって欲しい。
 元旦の日経新聞のトップ記事「成長へ眠る力引き出す」を読み始めて、12月28日のブルグで述べた趣旨のことが書かれていたので、ついつい新年早々のブルグを書いてみたくなった。日経曰く、「65歳以上の4人に3人は日常生活に影響する病気を抱えてはいないし、健康なかぎりいつまでも働きたい(44%)、70歳まで働きたい(32%)と考えている」「60歳以上の労働参加率が10%上がると経済成長率を1.6%押し上げる。女性の労働参加が増えればさらに上にいく」とある。
 働くことは憲法で保証された権利であり、先進国の大半では定年制度は年齢による差別行為であるとして廃止されている。私が法定老人であるから言うのではなく、年金負担や医療費負担など少子高齢化社会で子供や孫の世代に重課される負担の軽減には、老人パワーの有効活用が合理的な解決策だと考えるからである。私の年代の目で見ても、生き延びるために街中を意味無く彷徨するシニアー、ハイキング姿で嬉々としてラッシュ時の電車に乗り込んでくる死に損ないのシニアー達を見るとむしょうに腹立たしくなる。「長寿誇れる国家モデルを」と主張する日経の主張は至極当然であろう。

 専門職大学院で教えていると、専門職大学院の卒業生、もっと広く言えば教育の成果を正当に評価出来ない国であることも痛感させられる。惰性で進学する学生も多い学部と違い、なんらかの問題意識を持ち時間とお金を投資して自己研鑽に努めているのが、専門職大学院の大部分の学生達で、採用する側には得な人材のはずである。しかし、体育会系の何も知らない労働力を自分の色に染めることを考えるような採用者には、専門職大学院卒業生の価値が理解できない。ここでも、バカがバカを再生産してことによる我が国の真のエリート層や指導者層の不足、大衆の生活の知恵の不足が痛感される。ママのお金で何不自由なく育った坊ちゃん、二代目政治家で東大に入学出来なかった劣等感に苛まれる傲慢な闇将軍、教条的左翼思想で自壊してしまった民主社会主義者、人気取りの芸人のような知事たち等々、とても良い年が来るようにには思われない顔が思い浮かんで来てしまう。

 自衛するしかない。そう決意して、始めて年末ジャンボ宝くじを買ったが、9千円が9百円に変わっただけであった。