サブプライム・ローン問題(その1)

 最近、サブプライム・ローン問題が喧しく議論されている。しかし、これらの業務を長年にわたり担当してきた眼で見れば、その本質の理解はそれほど難しいことではない。
 
本質1:債務返済は、借入人ではなく担保不動産の値上がりが行うことになるという「新しい発想」に転換する。つまり、債務者がサブプライムであっても、担保不動産の価格上昇が予想されるので、返済には問題ないと考える。

本質2:担保住宅価格の上昇を、過去の実績や一般の予想より低めに設定したモデルとすれば、一応は健全な貸出行為のように判断され、「健全」な貸出計画を作ることができる。

本質3:企業の将来のキャシュ・フローの現在価値が企業価値で、その企業価値の増加で経営者の能力や従業員のボーナスが評価されるのであれば、将来のキャッシュ・フローは誰も判からないのだから、企業価値の増加があると考えられる内に稼ぐのは当然である。「後は野となれ山となれ。当面のボーナスをたくさん稼いで、うまいタイミングで転職する」ことが個人としてはベストの選択となる。

本質4:「証券化取引」はババ抜きゲームであり、ババはノロマや間抜けな連中の手に残る。

本質5:ノロマや間抜けを説得するに必要な道具は、金融技術革命で十分に準備された。しかし、金融技術はあまりに高度化し、極めて少数の金融エンジニアーしかその限界が理解できない。格付け機関を含めプロと称する人間の大半が半可通で、本当のリスク・リターン分析は出来ていない。

本質6:信用リスク問題は、それまでの市場リスクに比べはるかに複雑で理論もデータも発展途上。格付機関がOKを出すまでストラクチャーに手を加えるが、格付機関にも本当のところは分からない。

本質7:マーケットが合理的であれば、金融商品時価は理論値(=将来のキャッシュ・フローの現在値)に一致するはずであるが、複雑な商品の売買取引は少なく、大部分の金融商品が理論値を持って時価評価される。

本質8:”Mark to the theory”(理論値を時価評価とする)の工程は、少数の金融エンジニアしか理解出来ない世界で、しかも多くの前提が置かれる。しかし、間抜けと馬鹿が理論値から懸け離れた価格で取引すれば、その価格があくまで時価であり、理論値がその馬鹿げた時価に近づくように調整される。金融理論はその程度の微力なものでしかなく、理論の実効性を高めるには数学や物理のドクターといった人材がもっとたくさん金融エンジニアになり、データを集めスーパー・コンピューターをぶん回す必要があるが、それ以上に現実の金融市場は複雑で得るものは多くない。環境問題等の問題山積の現状で、これ以上の人材の金融界への投入は、世界的な人材資源の浪費になる。

 以上がサブプライム問題の背景にある本質で、サブプライム・ローン問題に先行して、IT株式バブル、アジア金融危機、ロシア・LTCM金融危機等々、最近でも一定の周期で金融危機が訪れ、エンロン・アンダーセン事件などアメリカ主導の金融技術革命は多くの問題を生み出した。金融技術革命はパンドラの箱をあけてしまったような面があり、多くの人々が上述のような金融問題の本質を理解し、制御可能な範囲に強欲な少数派の動きを封じ込めない限り、サブプライム問題程度の金融危機が時間を置いて繰返されることになろう。次は、新興国や資源への投資が破綻するような気がしている。