腰痛と社会

昨年の後半から、腰痛がひどい時がある。痛む時には、まさに体の要であり、生きて行くのが面倒になる。西洋医学は痛み止めの薬以外はほとんど無力と言ってもよいような状況で、腰痛経験者から教えてもらった種々の方法を試み、漢方薬で小康状態に入っている。    
ほとんどの友人・知人は心配してくれるし、腰痛に悩む人の多さに改めて驚いている。なかには、「私も杖をついて頑張ったことがあるわけで、その程度の腰痛で手を抜いてもらっては困る」と悪魔のようなことを言う人もいないことはなかったが、やはり若い男どもの冷たさは社会問題と考えてもよい位である。
杖をついて通勤すると、人情紙風船と思っていた東京で、意外にたくさんの人が電車の座席を譲ってくれることに気づかされる。しかも譲ってくれるのは女性の方が圧倒的に多い。腰痛持ちになるまで、電車の中で座りたいと思ったことはなかったが、優先席でふんぞり返っている若い男を見ると、「お前さん、頭以外にどこか悪いところがあるのかい?」と言いたくなってしまう。先日、狭い優先席に座ったとたん、となりの大柄な若者に「どこか体調が悪いの?」と口が滑ってしまった。「いや別に」という返事だけで済んだのは幸いだったというべきかも知れない。何せ、新宿では、雑踏で肩がぶつかっただけで、若い男と睨み会いになるのだから。
こんな愚痴を書いたのは、今日の通勤途中の乗換駅で、一つの空席を若い男と争い、うまく体を入れられて、奪われてしまった悔しさからである。車夫馬蹄風情の兄ちゃんであればまだしも、二流大学文学部準教授という雰囲気の男であったことがショックを大きいものにした。
年金問題が悪化を続けて、「国のため、死んでくださいお年寄り」の時代になることがほぼ確実であるだけに、考えさせられてしまう。