核家族の問題点

 長男のところの孫二人と北海道まで遊びに行った。未だ、7歳と5歳であり、無理な移動には制約があることから、デスティネーション・リゾートに行くことにした。「デスティネーション・リゾート」という概念は、昔、ハワイのホテル開発プロジェクトを担当していた時にすり込まれた概念で、そのリゾートに滞在することを目的に開発するホテルや遊園地の複合体で、北海道の場合は冬のスキーが狙い目となっているのであろうが、夏場も素晴らしいのではないかと考えた。倒産した全国のリゾート地からかき集めたといわれる遊園施設は、ジェット・コースターのようなものがやたらと多く、お子様向けが少ないという問題には気付いていたが、大きなプールはあるし、支笏湖も近いことから、問題なく楽しめた。
5歳の方は、親元を4日間も離れるのは始めてであったが、7歳の兄ちゃんが明るく人見知りをしない坊主に育っているので、まったく問題はなかった。「おじいちゃん、北海道では日本語が通じるの?」などと聞かれると嬉しくなってしまう。不良老人であった私の祖父ちゃんが、夏休みの宿題を手伝ってくれたことは鮮明に覚えているし、祖母ちゃんが、どれほど大事にしてくれたかは、大人になって理解できてきた。これら家族との思い出が、どれだけ自分の支えになり、人間としての優しさを教えてくれたことだろうか。元気なうちに、自分の孫たちにもそのような教育をし、思い出を残しておきたい。
長男は、イギリスで高校と大学教育を受けた。イギリス人の母親と全寮制の教育は、長男にアングロ・サクソン個人主義的発想を強くすり込み、自分で収入を得るようになると直ちに独立し、片道2時間を掛けないと孫に合えない。長男の個人主義は、祖父ちゃんや祖母ちゃんが今以上に生活に関わってくることを拒否するように思われる。ニューヨークやロンドンの孫に合うのはもっと手間が掛かるので、更に疎遠になっている。自分らで選択したことではあるが、ここまで核家族化してしまうとその問題点を強く感じることになっている。長男のところは、三人目が1歳になり、犬までいるので、嫁さんは毎日が戦場のようになっているはずである。このような駄文をブログに書くよりは、孫のオシメを代えたり、宿題をみてやりたいとも思う。「親子はスープが冷めない距離に暮らすのが良い」とは、人間の知恵なのだろう。子供だけの夕食が終わると、「大人の食事の時間だから、別の部屋に行って遊びなさい」と言っていたイギリスのグランドマーと、甘やかし放題であった日本のお祖母ちゃんがどのように影響を与えているかを、そのうち私の3人の子供に聞いてみたい。
戦後の日本は、わが国の伝統や世界標準に比べると、不当にアングロ・サクソン流の個人主義を礼賛し、サル真似し過ぎてきたように思われる。家庭教育の空洞化が、聞くもおぞましい問題の原因になっていると思われる。