過ぎ行く時間の早さよ

歳をとるに従い、時間がより早く過ぎていくと感じるには医学的根拠があると何かで読んだ記憶があるが、昨今、本当に時間がたちまち過ぎて行ってしまう。物は試しにとブログを始めてみたものの、満足な回数を書くことが出来てない。
 文章を書くのが遅い人間であるとは思ってないが、考え込むタイプではあるので、書き始めるまでに結構時間がかかる。50冊以上の本を出版し、羨ましいほど仕事が速い人を何人か知っている。そのうちの一人は、ポイントの着眼点が良く、書かれている内容にも応分の深みを感じることも出来る。しかし、私が自信を持っている分野であれば、この高名な教授と議論して勝ったと感じることもあるが、外部に提供している情報の量ではまったく敵わない。私の方が実力は上であると思っている英語に関しても、彼は既に本にしてしまっている。この人(A教授)に関しては、専門分野の力量やカバレッジの広さ、着眼点の良さ等々から生産性の高い才人であることを認めないわけにはいかない。この才人のA教授に似ているが本質は何も無いと思っている別の先生(B教授)がいる。B教授も次々に本を書かれ、一定の固定的なファンをお持ちのようである。しかし、日常の接点で判断する限り、見るべき長所をほとんどお持ちになっていない。本当の専門書を書かれてはいないし、大学教員では持っているのが当然とも言われて始めた博士号どころか修士号すらお持ちではない。実務業績にも見るべきものはない。しかし、このB教授は成功した大物であっても逡巡してしまうような立派過ぎる題名の本を次々に出版されている。内容は、キャッチィな本の題名に比べると、正論をオブラートに包んだようなもので、3時間で読めてしまう。ゴースト・ライターが居るとか学生を利用しているとか言う人もいるが、大多数の同僚教員からは嫉みの眼差しを以って無視されているが、今日もコロコロ・バッグでどこぞやの社内セミナーの講師にお出かけのようである。何故、たくさんのB教授と同じような知的詐欺師を世間は見破ることなく、珍重し続けるのであろうか?
 現実は、A教授もB教授も例外的存在で、大多数の大学研究者は自分の分野の重箱の隅を考え過ぎて、過ぎ行く時間の早さを嘆いているわけである。