無常

親父が死んだ。2月末に大腿骨を骨折、手術をしたが、その負担から回復できず、4ヶ月の入院生活のあと、95歳を目前に他界した。転んで骨折するまでは大変元気で、家族には迷惑を掛けず、まあ天寿を全うした往生と言えよう。
 手術のあと、嚥下が出来なくなり、点滴で生き延びている期間は、生死や老後生活についていろいろ考えさせられ、日本が老後生活を全うして安心して死んでいける社会システムになっていないことを改めて感じさせられた。健康保険も整備されていない格差社会アメリカに比べればマシではあるが、福祉社会を維持している先進ヨーロッパ社会に比べると、国民を幸せにしようとする考えが希薄で、しかも国策の失敗をアメリカの猿真似で糊塗しようとしているから、早晩、「国のため、死んでくださいお年寄り」というムードが加速して強まることになるだろう。情けない話ではあるが、自分の死に方を真剣に考えておかねばならない。持病の心臓病が原因で、半日の騒ぎで他界してしまったお袋、そして、4ヶ月の入院で逝ってしまった親父には、子供として感謝したい。
 喪主である私が儀礼的な冠婚葬祭が嫌いであることもあり、家族、親戚、父の直接の友人・知人で小さくて静かな葬儀を終えた。田中角栄氏が「結婚式は呼ばれないと参加できないが、葬式は呼ばれないでも参加できるから、政治家が得票を伸ばすチャンスである」と言ったそうだが、身近に政治家を目指す家族がいない私にとっては、身近な人だけの小さく静かな葬儀はなによりであった。ひ孫が6人も居るのであるから、居場所を譲る時期が近づいてきたことは、親父も知っていたはずだ。
 親父、それじゃ、またね。 合掌