時流に乗る人、乗れぬ人

6月の学内外の勉強会で、時流に乗る人3人、時流に乗れぬ人4人のお話を伺った。勉強会の講師をやられる方々だから、世間では7人とも時流に乗られていると考えられているわけであるが、4人の方は、自分の実力が十分に評価されてないので、ご自身では、時流に乗れてないと思っているように思われた方々である。
 時流に乗られている3人の方のプロファイルは、最強の映画会社のチーフ・プロデューサー、本業のテレビのみならず映画事業でも大成功しているテレビ局のトップ・プロデューサー、最後は「小ネタギャグ」の脚本家としてテレビ・映画で活躍中のプロデューサーである。特に、前二者の方々の組織的成功は業界では知らぬものがない話で、自慢話や手柄話を延々と聞かされるものと考えていた。ところが、予想に反し、御二方の話はまったく逆の内容であった。最強の映画会社のチーフ・プロデューサーは、公開が始まったばかりの映画を事例にし、世の中では成功と見なされているこの新作の興行成績が期待を下回っていることを、本当に残念がっておられた。私は、この「ハゲタカ」という社会派ビジネス映画は、素晴らしい出来の傑作であり、勉強材料にこの映画を観ようとしない世間の意識の方がおかしいと思っている。この映画が大ヒットにならない日本の現状は、社会的問題意識の低さを憂うべきである。
邦画興行収入の最高記録を持つ映画や評判の高い映画を手掛けられたテレビ局のトップ・プロデューサーも、自分の成功には他の人たちの貢献や偶然のツキの要素もあり、すべてが読み通りということではないとする謙虚な内容になっていた。お二方とも大企業のサラリーマンに過ぎないからである、と冷ややかにコメントすることも可能かもしれない。しかしながら、勤めている大銀行に頭を下げていることをあたかも自分個人に頭を下げているものと錯覚し、大言壮語し、大銀行を没落させてしまった先輩や同僚を見てきた私にとっては、今をときめく東宝やフジテレビのトップ・プロデューサーであるお二人が、奢らず、自慢話をせず、むしろ問題点を強く意識していることには、感じさせられるものがあった。この2社は、思っている以上に強力な組織かもしれない。
 時流に乗る人の三人目は、「小ネタギャグ」を絶え間なくメモする覚書から、いかに上手に仕上げるかという手柄話を嬉々として話してくれた。日本人を白痴化しつつあるテレビのナンセンス・ギャグが、どのような人物のどのような苦労の結果であるかを知ることが出来、面白かった。こんな人物を時流に乗せてしまうべきではない。

 時流に乗れない4人の方々のプロファイルは次のようになる。期待されている映画監督で、有名大学の教授でもあるが、本当の傑作が創れず、虚名だけが上滑りしていると思われる人物。妙な映画制作理論を振りかざす映画監督で、大学教授でもあるが、日本では評価されず、フランス映画界に理解と資金を求めている人物。C級とも言うべき下らない映画の制作と輸入配給を行っているベンチャーの企業家。最後の人物は、一流大学を卒業され、映画会社に入社したが、その会社が凋落し、なかなか実効の上がらない映画祭などの映画プロモーション事業を企画されている人物。
 時流の乗れず、欲求不満を抱えた4人の方々の共通点は、少数の熱烈な支持者の存在が支えになっていること、話が分かりづらいこと、その分かりづらい話は大変ありがたく重要で高邁な内容であるという劣等感の裏返しのような思い込みの強さがあること。例えば、ひとりの映画監督は、シナリオ無しに、役者たちが一定の状況でどのように反応するかを見つめて映画制作することを強調していたが、これは、監督無しの役者によるドキュメンタリーに過ぎないように思われ、映画監督とは呼べない存在であるはずだと感じさせられた。

 教育者は、自分の独りよがりを強調し、世の中に受け入れられない偏見を教え、学生を不幸の再生産の材料にしてはならない。時流に乗ることは、時流に乗れないことよりも難しいことであるだろう。「おじさん、そんなに頭が良いのなら、どうしてお金持ちではないの?」