「リーマン・ブラザーズと世界経済を殺したのは誰か」

 日本人としては投資銀行の内幕を最も良く知っているはずの桂木さんが書いた本であるから、大いに期待して読ませていただいた。もっとギラギラした内実を聞くことを期待していたが、大半は別の人が書いたのではないかと思われるほど評論家的で、行儀が良すぎるので、正直やや失望した。これだけ客観的にタンタンと述べられてしまうと、レーマンの消滅やサブプライム金融危機が100年に一度の危機ではなく、アメリカ強欲主義主導の現在の金融システムを前提にすれば、この程度の危機は5年ないし10年に一度は起こる問題であることを改めて感じさせられている。
 「強いて一人だけ真犯人を挙げよといわれれば、「人間の本性」だ。人がみな持つ欲望が今回の危機を招いたのである。・・・それにしても、低金利や証券会社の過大なレバレッジ体質を放置し、リスクの高い金融商品を野放図に許し、危機が発生しても果敢に動かなかった米政府、金融当局の責任は重大であると思う」というのは、「元レーマン・ブラザーズ証券社長」の肩書きを持つ人物の言葉とは思われない。
 「私のこれまでの経験から言えるのは、金融不安は徐々に収斂し、市場は落ち着きを取り戻す。1990年代初頭のS&L危機やロシア危機の収束、ITバブルなどが弾けた後などに立ち直ったときと同じように、投資銀行業務は必ず戻ってくる。M&Aも、デリバティブも、LBOも、証券化も必ず戻ってくる。・・・ほとぼりが冷めれば、彼らは必ずやハイリターンを求めて、新たな金融商品の開発に知恵を絞るはずだ」
 私も桂木さんのこのような現状認識には同感である。今次のような金融危機を防ぐには、低賃金に応じた能力しかないと言われている金融行政当局が、本気で知恵を出し合い、破綻しても巨額の私財を残している懲りない面々の考える新しい金融ゲームを防ぐクレバーな金融システムを構築出来るか否かにかかってくるが、多分それは不可能であろう。金融新商品の歴史は、存在する制度を如何にかいくぐるかの歴史でもあったからである。日に日に影響力を増している中国やインドの政治家や金融マンには、アメリカ人以上にアメリカ的な人物が少なくないことも、世界の近未来の方向を暗示している。これに比して、日本の金融関係者やマスコミが投資銀行や金融技術の時代は終わったとばかりに益々内向きになり、「愛知県の金融事情」などを主力な論点とし始めてきたことは、喜劇でもあり悲劇でもある。