孫とiPhone,iPad

 春休みに家内と久しぶりに長男の家に泊まった。9、6、2歳の男ばかりの3人の孫が居り、騒がしいが大変楽しかった。
2歳8カ月の三男がもっともウルサイわけであるが、これを黙らせる武器がある。iPhoneである。レストランなどに行って、静かに座らせておく必要があれば、iPhoneにダウンロードしたアニメを観せ、ゲームをやらせると直ちに静かになってしまう。ご存知のように、iPhoneにはローマ字入力も、ボタン操作も必要ないから、2歳児が私より器用にiPhoneを操っている。日本語も外国語も気にしないから、ネイティブ英語の発音を真似しているし、スペイン語のアニメも楽しんでいる。機関車トーマスなどは何度も見ているから、いっしょに鼻歌を歌っている。2歳児が、ヒッチコックのような顔をしてiPhoneに夢中になっている姿は始めてであり、奇妙ではあった。
 9歳と6歳を黙らせる道具は、nintedoーDSである。コンテンツのせいか、連中はiPhoneにはあまり興味を示さない。PCで文字入力を覚えた世代と携帯の親指入力から始めた世代の境界線が26歳くらいということで、6歳と2歳の間には新しい情報機器の境界線が出来ているのかもしれない。
 孫の世代がデジタル玩具に夢中になっているのは、教育の観点からどうような影響が出てくるのか、十分なデータがないので、不安といえば不安である。長男の仕事の関係もあり、アメリカで発売されたiPadを持ち帰ってきた。三男は早速とびついて、遊び始めた。原理・原則は同じなので、直ぐに使いこなしたが、やや大きすぎるのでiPhoneの方が御気に入りのようであった。iPadの売りの電子ブックを見ていると、その画期的な機能が一目で理解できる。ロイヤリティーの切れた本は原則タダで読めることは、改めて驚きである。出版社や印刷会社に失業問題が生じることは問題ではあるが、アリストテレス小林多喜二がタダで読めることには抵抗できない。
 そして気が付いた。iPadで絵本を見たり、機関車トーマスの映画を観ることは、親に絵本を読んでもらうこととあまり違わないのではないだろうか。むしろ、勝手にiPadで遊んでくれているのなら、その間、親はビールを飲んでいられるということではないか!iPhone,iPad様様である。