イスラム金融と金融工学

 イスラム金融はほとんど知らない。金利が取れないから、リースのように物を貸したり、株式のように利益分配する形式を仮想するくだらない話だろうと思っているから、調べる意欲が湧いてこない。しかし、ある人が「金利を設定するには、借入人の将来の返済能力を判断して決めるわけで、借入人の将来は神のみしか解らないので、金利は決めることが出来ない。つまり、金利を取ることは、神にしか出来ない行為を人間が行うという神への冒涜行為という考え方が底流にある」と説明してくれた。
 先日の決算発表で、JFEが「鉄鋼石と原料炭の原料価格、および鋼材販売価格が予想できないので、現時点では合意的が業績予想が算定できない」と発表し話題になっている。将来のキャシュフロー予測とリスクに応じた割引率による現在価値の算定は、ファイナンスに限らず現代ビジネス手法の要諦とされている。ながらく実務をやっていたから、これがほとんど不可能な要求であることが理解できている。しかも、高度な数学を使いこなす金融工学の大半は、現在価値計算への取り組みに費やされている。金融工学は神になる試みかもしれない。それ故、完成するはずがない。
 もしかすると、上記のイスラム金融の解釈はは大変深いことを言っており、アメリカ育ちの金融工学企業価値最大化といった議論は、将来は予測できるという幼稚な発想に立脚しているようにも思われる。これは、金融工学を否定したり、悪く言っているのではない。金融工学が何と格闘しているかすら理解してない多くの人々は、自分の発想から重要な要素がすっぽり抜け落ちていることすら気が付かないレベルにあるわけだから。金融工学は、あまりの難問、多分、神への挑戦をしているから解決できない問題の方が多くて当然なわけだ。カネの時間価値やリスクの存在すら表現できない四則演算の会計(無味乾燥な実務で、まともな学問ですらない)を勉強しただけで、イスラム金融の立脚するものや金融工学が何と苦闘しているかさえ想像できない連中が、論客ずらして一端のことを言っている日本は本当に危機である。
 知らざるを知ることが進歩の原点である。