「スギハラ・ダラー」「ウルトラ・ダラー」

 面白い読書で厳しい残暑が忘れられればと、手嶋龍一さんの「スギハラ・ダラー」を読んだ。小説家としてのデビューになる前作「ウルトラ・ダラー」が大変面白かったので、本作も期待して読んだ。しかし、残念ながら、前作が傑作すぎたのか、著者の個性が悪い方に伸びてしまったような感じで、失望した。即ち、著者の博学が無駄に浪費され、時間軸や世界を駆け巡る展開に無理があり過ぎ、関係ないことを無理やりこじ付けて関係させたような印象が強い。私の専門分野である87年のブラック・マンデイといった金融関係の問題で、著者の知識と調査の不足が目に付き、他の分野もアヤシク思われてきたことは大変残念である。NHKワシントン支局長の経歴などから、大きなスケールで、事実とフィクションのギリギリの部分を説得力を持って記述できるバックグランドの著者であるだけに、次回作で、失地挽回を図って欲しい。
 病床で小さな庭しか見えない生活でも文学は成立するであろうが、今の日本が必要とする文学や映画は世界を舞台に日本人がどのように活躍できるかを描くものであるべきではないだろうか。小説は先ず人間を描くべきだとか、狭い私小説がもてはやされ過ぎてきたわが国に必要なのは、手嶋龍一さんが挑戦している世界であると思うだけに一層失望感が強い。また、実存する人物や事件を実名で利用する小説手法の難しさも感じないわけにはいかない。