寒々しい嫌な国

 昨日のブログに、「日本人の倫理感や社会風土が更に寒々しい嫌な国に向かって変化しつつあるのであろう」と書いたが、これをゼミ卒業生の転職報告にダブらせて考えた。
 先週、あるゼミ卒業生から「出身地に近い地方テレビ局に転職することにしました」という電話をもらった。奥さんと子供一人の家族で、30才近くになるはずだから、真剣に考えての転職のはずである。彼は、誰もが知っている日本の代表的情報企業で、これまた日本を代表する金融産業の営業を担当していた。大銀行で録を食んできた私は、金を支払う大手クライアントが、業者であるシステム開発会社をイタブリ苛め抜くケースが多いことを知っているので、転職の理由をそれとなく確認してみた。地震被災地の両親の側に帰りたい、東京の生活環境は酷すぎる等々の理由もあったが、やはり仕事がきつ過ぎることが最も大きな理由のように思われた。
 外国人の知人から、「システム産業や建設業を代表に、日本では本当に働いている人々が大事にされてないケースが多い。奴隷のように使われていると言ってもよいケースもある。これでは、日本の産業はイノベーションに対応できない」と言われてきた。情報システム産業で言えば、ろくに技術面を理解してないクライアントの経営陣から、予算、技術、納期などの基本条件で無理難題の注文を付けられる。これを下請け、孫請けに同じように無理難題の条件で引き受けさせる。今回の東電福島原発事故でも透けて見えてきたように、本当に苦しい無理難題をこなしているのは、下請けや孫請け、更にその臨時雇い労働者たちであり、本来は責任者と言っても良いはずの原子力発電関係の技術者、学者など原子力村の人々は、艶やかな肌と健康そうな顔をしてヒトゴトの様なコメントをして恥じることが無い。この構造は日本の基本的な構造と言って良いと思う。
 この構造は、旧帝国陸軍あるいはそれ以前の封建時代から不変のままだと思う。元来は日本人ひとり一人は優しく弱い人間が多いと思う。しかし、一旦組織化され、規則が制度化されると弱者に冷たく苛め抜く集団となってしまう。本当の人間教育を受けていない弱い人間が多い。今日のニュースでも、「1才の次男をイライラして殴り殺した27才の母親」「自動車の中に、12時間子供を放置した母親」の報道があった。優しくされたことのない人間は、人に優しくする術が解らないのであろう。弱い人間には人に優しくする余裕が持てないのであろう。この国は、間もなくこの程度の事件は多すぎて報道されない国に仲間入りしてしまうのでないだろうか。
 私の独断を言えば、この国には「天の目を信じてない人」が多過ぎるのではないだろうか。私にも神や仏を信じる心が無く、天の目を信じてない。だから、自己利益を図る為、警察に捕まらないようであれば、何でもやってしまいそうである。若い者を奴隷のように使い捨て、食い物にする起業家、いつでも首切りが出来るような短期の契約で雇用する慣行の定着、大声で嘘偽りをしゃべりまくり書きなぐりる似非知識人たち、都合の悪いことは世間に知られないようにする慣行、恥を知らない芸の無い芸人の横行等々、寒々しい嫌な国への流れが加速してきたように思われる。被災地を見殺しにすることで、新たな歴史が始まりつつあるのかもしれない。