長谷川英祐「働かないアリに意義がある」

 川島隆太茂木健一郎養老孟司等々、脳科学者のような顔をして大衆に向けて「脳科学」を説く連中の話は、ほとんどがマスコミや出版社と共謀して作り出したフィクションに過ぎないという話を聞いたことがある。確かに、私が専門とする「ファイナンス」や「経営」の話の最先端を素人の方々に理解していただくことは容易ではないし、したり顔でいい加減な内容の話をしたり、本を書いたりしている連中も少なくない。学外で目立つ先生方で、学内では隅の方で小さくなっているケースも意外に多い。
 このような風潮の中で、本当の研究者が、先端の研究成果を素人に楽しめるように書き出したり話したりしてくれると、知的興奮を覚える。真社会性生物の進化生物学研究者の長谷川英祐さんがまとめられた「働かないアリに意義がある」という新書は将にそのような啓蒙書で、大変面白く、また自分の専門分野の考察を深める刺激を与えてくれた。
 70%の働かないアリの存在が、真社会性生物であるアリの社会の存続には合理的である、といった素人の日常常識や経済学的合理主義の経営組織論に水をかける議論は、大変刺激的だ。出版社とベスト・セラー・ライターが好む3時間で読み終わるとゴミになってしまうような啓蒙書が多い中で、本書にはもう一度時間をかけて再読する必要を感じるくらい歯ごたえのある部分も少なくない。
 本屋で立ちすくんでしまうほどの本が出版され、新しいメディアで溢れかえる情報が提供される昨今、情報源や本の選択は本当に難しい。本書のように、自分の知的水平線を広げてくれる本や情報源をどのように選択していったらよいのであろうか。
 また、難しいもう一つの選択は、自分の知的レベルの鍛錬に気をとられていると、自分の考えを発表する時間が無くなってしまうことである。愚者のみの声が聞こえる社会は恐ろしいものである。聖者は黙して語らずで良いとは思われない。