貯蓄から投資へ(その2)

10年前の拙著に次のように書いた。「現在の筆者には、バブルの形成とその崩壊を体系的に整理する時間がないが、30年間銀行で働いている現場感覚でいえば、その最大の原因は、わが国経済が資金不足時代から資金余剰時代に変化したことへの認識と対応が不足し、行動パターンを切り替えることができず、資金不足時代の行動パターンで暴走してしまったことにあるように思われる。・・・下降局面に入った経済大国は、資産運用で生き残りを図るのが常である。18世紀のオランダ、19世紀後半からのイギリス、現在のアメリカも国際金融市場を通じて国力の維持に努めている。製造業を中心とする海外直接投資にはみるべきものもあるが、国際金融資産投資に関しては我が国の経験不足には甚だしいものがある。…教育システムの改善をも含んだ体制整備と我が国金融マンの大幅な質的向上なしには、最も難易度の高い金融仲介機能である海外金融資産投資で十分な投資効果を得ることは期待できない。そして長期的海外投資の成功なしには、長期的な日本の繁栄はない。…国際分散投資により投資家はリスクを軽減できることは知られているが、ホームバイアスといわれるように国内投資に偏りがちな傾向は各国に見られる。しかし、我が国の対外証券投資残高は全金融資産の5%程度といわれており、国内の投資機会の減少やイギリス等の先例に比較するとあまりに低率である。」

 外国為替管理法を80年代に廃止し、海外投資庁などを創設し、海外投資を十分に促進しておいたら、小さな島国に押し込められて狂ってしまった円貨によるバブルや円高は、少なくとも軽減はされていただろう。不良債権とその処理で混乱し、日本がこれほど自信を失ってしまうこともなかったであろう。そして、絶望的なことは、この時点においてすら、村の集会場に集まった村人達が、したり顔の村長や村役人の村以外には世界が存在しないような認識に基づいた分析を聞かされ、村の広さしか見えない議論にやたらと興奮し、繰り返し同じ議論を聞かされ、重要な問題を見過ごしているように思われてならない。
 金持ちになりつつある中国は、既に米国石油会社の買収、資源確保の投資、政府系投資ファンド、海外の農地買収等々を企画し、日本が20年前に行うべきであった政策を実行し始めた。シンガポールやマレーシアもこのような政策を実行してきており、インドからは新日鉄を買収する動きを見せる力を持った製鉄会社が誕生している。これに比較して、わが国は1500兆円の金融資産を持っていながら、上場企業の30%を外国人投資家に買われ、所有権に基づいた多様な要求を聞かされる状況になっている。これを国家の危機と認識できないのは、どうしてであろうか?「貯蓄から投資へ」の掛け声が20年遅れたとは、このようなこと意味しているし、国の政策としてやるべきだったことをやらずにきた政府が、投資感覚を持たない大部分の国民を、内外の狼の群れの方向に追い立てることになることを懸念する。