仮想世界と現実世界(その2)

16日の本ブログに「仮想世界と現実世界」を書いて、翌17日に「連続幼女誘拐殺人犯 宮崎死刑囚の刑執行」となり、その偶然に驚いた。宮崎死刑囚は、幼い4人を殺害した犯人であるが、自宅に大量のビデオテープを所有していたことや性格の異常性が話題になり、「オタク」という言葉を有名にした。
 ビデオが彼の異常性のどの程度を説明するかは判らないが、私の経験から推して、仮想世界に浸る時間と現実世界での精神状態とは無関係ではないように思われる。ビタミン剤や栄養補給剤でも、適量を超えると毒物になるわけで、現実社会で機能出来る人間であるためには、仮想世界に住む時間の総量を規制するような発想が必要なのではなかろうか?精神病理研究の世界では、既に研究が始められているのだと思う。良い映画に浸りきっている時に来客や電話があると、無視してしまうことで現実世界に背を向けてしまうことが、私にもある。現実から逃避し続けて、生きていけるはずがないわけで、情報・メデイア革命で仮想世界のウエイトが知らず知らずの内に、急上昇している現在、その影響分析は急務のはずである。
「オタク」に関しては、既に5月6日のブログに一度書いている。「オタク」の理論家岡田斗司夫氏が「オトクとは、子供っぽい趣味を選び、それに関して、精神力と知性でもって世間の目に対抗していく存在」と定義し、オタクを積極的に選択した行動と評価し、その繊細な観察力に将来の可能性を認めた立場(「オタク学入門」)を放棄し、「強烈な自意識、自負心を持った強いオタクではなくなって、自分の趣味を理解してくれないのは世間が悪い、と訴える弱者のたまり場になりつつある」(「オタクはすでに死んでいる」)との見解に変更された。彼の見解を信じるとすれば、より仮想世界の住人であるはずの「オタク」にも、仮想世界を良い方向に止揚する能力は期待できないことになってしまう。この問題は、「子供に携帯を持たせるな」といった次元の問題ではないように思われる。