所得流失

 先日の日経新聞に、「資源高の影響を受け、日本の所得の海外流出が米欧と比べても突出して進んでいる。2008年1−3月期で26兆円と1年前の1.6倍に膨らみ、今後も広がる見通し。」とあった。ある国の所得が貿易を通じて海外から流入、あるいは海外に流失した金額を交易利得・損失というが、その内閣府による試算である。
投機資金の影響もあり急速な資源価格の高騰が進んでいるが、中国やインドの近代化により資源の奪い合いが激化することは確実で、投機が沈静化したり、新興国の経済成長が鈍化したとしても、原油や食糧、工業原料といった日本が輸入に依存する資源価格が一昔前の値段で買える時代は戻ってこない。円安で短期的な輸出が伸びることになっても、円安は輸入購買力を低下させるわけで、長期的にはマイナス面の方が大きい。選択肢は、対外投資収入の増加、高度化した新しい輸出産業の育成、さもなくば資源の効率的利用や節約に努めることなどで、強制された節約は貧乏生活に戻ることと同義語である。
2007年末で、日本の対外投資残高は610兆円あり、その1割を占める海外事業による直接投資の収益率は9%、債券などの証券投資の利回りは5%程度と言われ、交易利得・損失の急速な悪化を打ち返すには足りない。ここでも、戦後の日本を支えた輸出関連企業による対外直接投資の成果が目立ち、蓄積した資金の運用である証券投資の技量や成果は不十分である。
新しい輸出産業としてコンテンツ産業の育成なども言われるが、家電や液晶に見られるように失われる輸出産業の方がはるかに多い。
しかるに、政治議論やマス・メディアの報道は、どうでもよいような国内問題に眼が向けられ、「花見酒」を如何に配分するかといった議論が繰返されている。落語の「花見酒」のように、家族の間で酒を売買して飲みあっても、外貨を稼いでくる家族がいない限り、早晩やっていけなくなることは自明である。強制された節約生活、つまり貧乏生活に戻ることで良いのであろうか?既に貧乏生活だという声も少なくない。