定年制度

 65歳という法定老人年齢が近づいて来た。八百屋さんやオウナー経営者といった自営業者であれば、あまり意味のない節目かもしれないが、会社や大学など定年の規定がある組織で働く人間には大きな節目である。上手く乗り越えないと、死に損ないの余計物といった滅入るような日々にはまり込みそうである。
 ・父子とも、71歳にして、日本一の激務のはずの総理大臣に就任された福田総理は、世の中の相当数の労働者が60歳、あるいは遅くとも70歳で強制的に労働権を奪われていることをどのように考えておられるのであろうか?
・大半の先進諸国では、「定年制度は、老人に対する差別行為」であるとして禁止されていることをご存知なのであろうか?
郵政公社や政策投資銀行の新しい総裁に70台半ばの方々を任命する矛盾をどのように考えておられるのであろうか?
・韓国のサムスン社の50人前後を筆頭に、急速にキャッチアップしてきたアジアの製造業の裏側には、定年で日本企業をやめさせられ、指導者として厚遇されながら技術の移転を行っているたくさんの日本人技術者や現場職人がいることをご存知ないのであろうか?
・働く意欲と能力のある老人に適度な労働機会を与え、収入に応じて年金給付額を減じることはもっとも合理的な年金問題の解決策、更には老人医療問題の解決策のひとつだとは考えないのであろうか?

60歳とか65歳で強制的に労働権を剥奪する制度が残されている国において、自らが71歳で総理大臣に就任することを奇妙なことであると思うだけの感受性が無いようでは、とても総理大臣や政治家が勤まるようには思われない。老人に適当な労働機会を提供すれば、年金問題や健康保険問題の解決の一助になること、技術を持った若き老人の海外流失が減少すれば、このように急速にアジア諸国にキャッチアップされることなく、国内産業の雇用機会と税収が増加することになること等々、定年制度を禁止し、労働意欲のある老人に勤労の機会を提供することは良い事ずくめのように思われるが、何故このような政策が素直に迅速に実行されないのであろうか?

昨年、定年で退職された先輩から、JICA派遣の技術指導者としてドミニカのサントドミンゴで、スペイン語を習いながら、技術指導の大活躍を始められたと言うお便りをいただいたことを機会に、感心すると同時にわが身の問題として考えさせられてしまっている。先輩は、都市工学がご専門の博士であるから、元銀行マンよりは国を越えた活躍がどこでも可能と言うことかもしれないし、エアロビックスの現役であるから身体能力は私より20歳くらい若いのだろうと思う。しかし、それでも私にだって出来ることはありそうである。