「バカの壁」――超ベストセラー書の条件

 「心頭滅却すれば、火もまた涼し」とばかりに、ツンドクになっていた在庫から、「バカの壁」を読むことにした。400万部を越えるお化けベストセラーだから面白くないはずはないし、面白さの理由を知ってみたかった。5年くらい前からの話題の書で、サラリーマン時代であれば、話題の材料として既に読んでいたはずであるが、大学教授になるとサラリーマンより生活の自由度が高くなり、より興味のある分野やより重要と思うことを優先して出来るようになり、本書を読むことは先送りになってきた。

そもそも、ハリーポッターやマンガ以外の超ベストセラーには一定の要件が備わっていると思うようになってから、あわてて読む必要を感じなくなってきたことも一因ではある。私が考える超ベストセラーの要件は次のようなものである。
(1) 一気に読み終えることができること。つまり、集中して3〜4時間くらいで読み切ることが出来ること。
(2) 読みやすいこと。数式や込入った表現があってはだめである。
(3) 何となく偉そうな権威者風の人が書いたものであること。
(4) 読んだ後に、読者が同感できる結論と読者が少しだけ利口になったと感じる充実感を得ることができること。
(5) 結論は、出来るだけ簡単で明るい気分になれること。
(6)  そして、本の題名である。「本は題名がすべて」という出版関係者までいる。

 以上の要件に、「バカの壁」やノンフィクション分野の他のベストセラー書を当てはめてみる。
 (1)「バカの壁」は3時間もあれば読め、「国家の品格」「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」「お金は銀行に預けるな」等々は、全部が新書で3〜4時間で読むことが出来る。
 (2)本書は書き出しに、「これは私の話を、編集部の人たちが文章化してくれた本です。」とある。これには驚いた。ベストセラー化するにはタイミングがあり、期日に迫られて、編集部で原稿を書いてしまう場合やゴースト・ライターが書く場合もあるが、ここまであっさりと言うことは学者には大変珍しいことである。確かに、読みやすい。
(3)筆者は東大医学部の教授ではあるが、ご専門は解剖学のようだ。解剖学専門家の脳科学や教育学、経済問題などに関するご意見がどの程度正確なのかは、私には完全には判断できない。
しかし、数学の先生が勝手に武士道を日本の品格であると断じられているのを読むと、やはりおかしいと思わざるを得ない。例えば、私のように百姓と商人の末裔の日本人にとって、武士道などは他人事のはずであり、武士の末裔は日本人の少数派に過ぎない。
公認会計士は、会計の専門家であり、企業経営や資産運用の専門家ではない。会計士試験があまりにも簿記や原価計算といった計算問題で難しい問題を出すが故に、むしろ企業経営や資産運用で必要とする資質に乏しい人材が会計士には多いようにすら思っている。隣接分野のファイナンスデリバティブの理論を理解してない会計士も少なくない。つまり、会計士や個人財産管理のファイナンシャル・プラナーにとって企業戦略論や資産運用論は、本来の専門分野ではなく、素人が個人的に勉強したようなレベルに過ぎない。
つまり、超ベストセラーは本当の専門家が書いたものではないことが多く、その結果、たくさんの人が理解できることにつながっているのではないだろうか。
(4)(5)自分の専門分野でなくとも、それなりの見識のある人が書いているから、我々読者である一般大衆は、それなりに利口になったと感じ、得るものがあったと感じることができる。例えば、「バカの壁」の要点は「知らざるを知りなさい。バカにとっては、壁の内側だけが世界で、向こう側がみえない。向こう側が存在していることすらわかっていなかったりする。」というもっともな話で、読者の大半が本書を読まずとも知っていたことで、当然納得できる気持ちの良い結論になる。

私の専門である金融分野の本の場合、数式が出てくる本は千部程度が上限と言われ、数式を控えて解り易くかいたつもりでも、一万部を越えることは稀である。これほどたくさん金融機関、証券、保険会社が存在し、どの企業にも財務部門があるはずにも拘らず、多少歯ごたえのある本の売れ行きはその程度である。上記のような超ベストセラーが存在することは、会計や資産運用などの専門分野の知識が不足している人が多いことを反映しているのだろう。しかし、3時間のにわか勉強で、壁の内側だけを見てしまうと、逆に壁の向こう側が存在していることが見えなくなってしまうリスクがある。つまり、「バカの壁」を読んで、脳科学を理解したと考えることこそがバカの証明ということになりかねない。