日米安全保障条約

 原子力空母ジョージワシントンが横須賀に入港した。入港に反対してシュプレヒコールを繰り返している人も少なくない。私が大学生の時にも、横須賀への原子力潜水艦入港反対のデモがあり、参加するかどうか迷ったものである。長男の家族が葉山に住んでいるから、原子力空母に何かあれば、横須賀の方々と一蓮托生であり、佐世保や沖縄に回ってくれる方が安心ではある。
 しかし、自分らを被害者のサイドに置いた観点からだけ日米関係を考えることに大きな疑問を持たされた経験がある。時は1971年、アメリカに留学していた時のことである。公共テレビ放送に、“Advocate(主張)”という論争番組があり、毎週選ばれた問題の対立する賛否両サイドの論点を主張しあう番組で、硬派ではあったが結構人気を集めていた。ある日のテーマが、「日米安全保障条約は、アメリカの観点から廃棄すべきか否か」というもので、「廃棄すべきである」とする側の論拠は、「アメリカの若者の血と税金を持って、日本を守る義務はない」とするもので、私にとっては非常に新鮮であった。なぜなら、当時の日本のマスコミ論調や底流となっている考え方は、「日本は冷戦体制の先兵として共産主義国と対峙させられており、日米安全保障条約アメリカのメリットがはるかに大きいことは論を待たない。米国帝国主義に隷従する日本帝国主義は捨石に利用されている」とするもので、理解し易い面があった。したがって、頼みもしないのに、「日米安全保障条約は、アメリカの観点から廃棄すべきか否か」という議論がアメリカでまじめにされていることは驚きであり、意外であった。
 あれから30数年がたち、共産主義の脅威や古い冷戦時代は終わったわけで、国力の低下が見られ始めたアメリカにおいて、あの時以上に真剣にこの議論が行われているはずである。沖縄からグアム島に米軍主力部隊を移動させる計画は、日本を見放したということでないと自信を持って言えるであろうか?確かに、沖縄に行くと、米軍基地が良い場所を我がもの顔に使っている感じがするので、地元の人を中心とする反発があることは十分に理解出来る。しかしながら、アメリカが日米安全保障条約を破棄し、防衛線をグアム島まで後退すると提案してきた場合、日本人の多数派はどのように反応するのであろうか?ナチス・ドイツですら占領するまでは友好国の顔を取り繕っていた。民主化が遅れ、政情不安定な隣国中国は目標が明確でない軍備の拡大を急いでおり、秘密警察出身のプーティンが独裁者色を強めているロシアもお隣さんである。彼らには、大戦末期に日ソ不可侵条約を無視し、北海道の占領を画した歴史がある。
サブプライム・ローン問題は、アメリカの国力の低下を加速することであろうから、日米同盟のアメリカ側の負担軽減の声が強くなって当然であろうし、モンロー主義の復活もありうるかもしれない。原子力空母への反発や米軍基地周辺でのドラブルをアメリカ国内にどのように報道するかにより、米国内の世論を誘導することは難しくない。アメリカが撤収していくに応じて、この国はどのように対応しようとしているのであろうか?平和憲法を持つ原爆被災国として、世界平和実現に自国をリスクにさらしながら突き進むのであろうか?この道を選ぶには、国民の精神力や使命感を格段に強化する必要がある。独立した軍事力を強化し、平和と自衛を大義名分とし核兵器を含む再軍備に突き進むのであろうか?護憲派の代表であった社会党が時代の変化に取り残されて自滅してしまい、自民、民主のどちらを選択しても流れは既に出来てしまったようにも思われる。またもや、自分の国であるという近代民主主義の自覚がないままに、国民は新たな体制に移されてしまうのであろうか?政府も国民も末梢的な問題ではなく、大きな本当の問題を直視すべきである。