アカデミック・ハラスメント

 大学で教え始めて4年半になった。学年末に学生が行う授業評価を参考にしながら、教え方の工夫をしている。これまでの評価は良好で、コメントも大半が納得できるものであったが、前期末の評価で「アカデミック・ハラスメントと言っても良い発言に注意してもらいたい」というコメントを初めてもらい、当惑すると同時に専門職大学院で教えることの難しさを感じさせられている。
アカデミック・ハラスメントとは、「大学などの学内で、教授がその権力を濫用して学生や教員に対して行う、嫌がらせ行為」とされ、私の学生への授業中の質問やコメントが嫌がらせ行為に該当するかどうかということであろう。学部教育に比べて、専門職大学院で教えることの難しさは、学生のバックグランドに大きな相違があり、機械工学の修士アラビア語の学士が机を並べ、社会生活の経験があり人生の苦労が理解できる中年の小父さんや一流企業に勤務しているパリパリのビジネスマンと、学部からストレートに進学してきたお嬢さんとがいっしょに勉強しているわけである。おまけに、私が担当するファイナンスは、「貨幣とは何か、金融取引とは何か」から始まり、ノーベル賞の対象になった数理ファイナンスまで、極めて幅が広く緻密な論理体系を持った学問で、それに加えて、必須科目であるから仕方なしに初めてファイナンスを習うあまり興味もやるきもない学生と、経済学部卒で既に基礎知識を持っている学生やパリパリのビジネスマンとを同時に教えなければならない。幸いクラスが少人数であるから、学生のバックグランドは直ぐに把握することが出来、それに応じて説明も質問も調整しようと努力している。まったくの初心者にわかるように説明すれば、パリパリのビジネスマンやビジネスウーマンに気の毒であるし、世の中に金融恐慌という言葉が飛び交う昨今、初心者には自分で勉強してもらわざるを得ない説明や会話も混じってしまうことになる。アラビア語が専門でファイナンスを初めて勉強するような学生が、「ファイナンス」では最劣等生であっても、日々理解を深めていれば、まったく恥じる必要もないし、問題でもない。しかし、それは大人の考え方であり、自己中心に世界を見る若い学生にとっては、難しい質問を他の学生にし、自分にはたわい無い質問をぶつけてくることは差別であり、ハラスメントであったのかもしれない。あるいは、もっとプライドが高く、自分に理解できないことを教えること自体がハラスメントであり、苦痛であったのかもしれない。しかし、世の中には、素人でも直ぐに一端のことが言える学問もあれば、素人にはまったく理解できない学問もある。「お金の話」に過ぎないようなファインナスの問題が、素人にはまったく理解できない分野にまで拡大してしまったわけで、「自分が理解できないのは、教え方が悪い。答えられない質問をして、教室で恥をかかせるのはハラスメントである。」と、駄々っ子のようなことを言われると、本当に困惑してしまう。
次男が帰国子女としてICU高校で勉強したが、理解のレベルに応じて「国語、上・中・下」「英語、上、中、下」「数学、上、中、下」のようにクラス編成をしていた。専門職大学院もこのようなことを考えるべきかもしれないが、「下のクラスに入れられるのは、ハラスメントである」と言った意見や「下のクラスのA評価と、上のクラスのC評価では、評価が逆でフェアーでない」と言った問題が指摘されていた。次男も「数学の上クラスは、自分以外は全員が女子だ」とぼやいていた。
「三歩下がって師の影を踏まず」が死語になったとしても、甘やかされ育った結果、自分の問題を棚上げにして人に注文ばかりをつける「モンスター学生」が生まれてきているのかもしれない。まあ、私も「モンスター教師」にならないように反省し、改善することを考えてみたい。