ゼミ生・リユニオン

 この間まで教えていた宮城大学のゼミ生が3年間で50人弱おり、この時期に東京でリユニオンをしている。地元仙台はもとより、青森からも参加があり、今年は20名程度が集まった。
 この連中が好きである。理由を考えてみると、次のようなことが思い浮かぶ。先ず、人を押しのけなければ電車に乗ることもできないという悪い環境で育ち、ストレスと欲求不満でいっぱいの東京とその近郊育ちの学生がほとんどいないこと。第二に、地元のピリピリと上方志向の強い「出来る子」は、東京に進学するか東北大を目指すのであろうから、素質的にはそれらの「出来る子」と大差はないが、ややノンビリ目の学生が多いように思われること。新設のキャンパスの美しい小さな県立大学で、初代学長がPR活動に長けた顔の広い人物であったこともあり、学力偏差値は東北大と並ぶと言われてきたので、理解力は悪くない。
 宮城県の学生の割合は70%止まりであるが、東北地区の学生が圧倒的多数で、就職時の彼らの悩みは、地元に残るか東京ないし全国区の企業に就職するかということである。地元企業の雇用能力が十分でないから、統計集団としては半分が東京ないし全国区で働くことになり、私のゼミ生も東京、福岡、名古屋、青森、盛岡等々、この段階で初めて親元を離れ県外に出たものが半数以上になっている。元気そうではあるが、学生時代より痩せてしまった連中が多く、「授業料を払う側から、給料をもらう側になるのだから、苦労は当然」と言ってはみるものの、心配ではある。現に、大手自動車メーカーの東京本店で働き始め、先輩との関係が思わしくなく精神的に苦しんでいると昨年言っていた女子学生の顔が今年は見られなかった。地方の空気を吸って、初めて東京の強い存在感に気付かされる。東京を経験するか否かは確かに大きな問題であるが、東京は多分最も住みづらい町で、しかも来てしまうと簡単には故郷に戻ることはできない。東京にへばりついた人生の私にとって、地方大学で教えた経験は、東京の問題を改めて強く認識させることになった。
 2度目の大手術が卒業時に予定され、内定を返上した女子学生からの便りは無いままである。大学卒業と同時に、大きく違った方向に人生は動き出すようである。
価値観の出来上がった学生を相手に、知識の切り売りになりがちな専門職大学院の教育より、学部の教育者であることの方が人生を考えさせられ、遥かにチャレンジングで生きがいを感じさせられた。