おくりびと

 米国アカデミー賞を受賞して以来、映画「おくりびと」が大変に話題になっており、今更のコメントが恥ずかしいくらいである。この映画は封切りになると直ぐに観に行った映画であり、年に何本かは封切りが待ち遠しい作品がある。現時点で言えば、「スラムドッグ&ミリオネアー」「ザ・バンク」などが待ち遠しい。
 1月中旬に2週間近く寝込むことがなければ、本日書いている内容を1月中旬の日米アカデミー賞発表前に書き残すことが出来、私の映画を見る目がまんざら捨てたものではないと言われたはずなので、いまごろ書くのが残念である。本年度の日本アカデミー賞優秀作品賞は、「おくりびと」「母べえ」「クライマーズ・ハイ」「ザ・マジックアワー」「容疑者Xの献身」の5本で、2月20日に「おくりびと」が最優秀作品賞に選ばれた。このうち、封切が待ち遠しく感じられたのは、「おくりびと」1本で、「クライマーズ・ハイ」と「ザ・マジックアワー」は日本アカデミー賞を楽しく予想するために、正月にDVDで観た程度の関心しかなかった。
 実は、YAHOOの映画サイトに観た映画の備忘録としてoakkashiwaというペンネームでコメントを残しているが、もっとも評価の高い五つ星は「おくりびと」だけであり、「母べえ」四つ星、「ザ・マジックアワー」と「クライマーズ・ハイ」三つ星、「容疑者X」は二つ星に過ぎない。
10月8日に書いた「おくりびと」への私の寸評には「素晴らしく後味の良い映画。Yahooの評価点がこれだけ高得点の映画も珍しいので、期待して見に行った。納棺師、チェロ、山形の三つを組み合わせた時点で勝負があった。これほど気持ちよく観られる映画は珍しい。意外性がないから、傑作と呼ばれる映画にはなり得ないかもしれないが、邦画がこれだけ誠実な作品を作りうることが確認出来て嬉しい。日本のイメージを上げてくれる映画。」とある。
2月18日の「母べえ」の寸評は、次の通り。「 山田・吉永でこの題材を映画にすれば、悪かろうはずがないと思っていたが、酷評する向きが少なくないことにも興味を惹かれて見に行った。A級戦犯容疑者(岸信介)の無責任な孫が憲法改正に暴走しかねない状況下での企画だったはずで、この映画を今作る意味はあったと思う。手ぬるいが一応「反戦」の映画でもある。つまらない映画が山ほど作られる現状では、二つ星以下の失敗作とも思われない。
 確かに、いろいろな点で中途半端に終わった映画ではあり、山田・吉永への期待感が高過ぎたことへの反動、ないし甘やかされた権威者(山田・吉永)への反撥から酷評が多くなったように思われる。しかしそれでも、「寅さん」等の大半の邦画よりははるかにマシな作品だと考える。
私の評価が最も低かった「容疑者Xの献身」の寸評は、「失望した。松雪泰子演じる殺害者(「美人」であることが強調される役柄にはミス・キャスト)を殺人から遮断するために無関係なホームレスを殺してしまうこと(殺害の記憶自体を消さねば意味がなく、説得力のないシナリオ)、出だしの関係のない実験シーン、現実感の薄い雪山登山等々、映画であることを意識し過ぎて無理やり膨らませたような部分がすべて失敗しているように思われた。テレビの「ガリレオ」の方が素直に楽しめた。つまり、原作が知的ゲームのような話の場合、3千万円ていどの制作費で1時間のテレビ・ドラマにする方が効果的で、無理に予算を膨らまして2時間の映画にして失敗しているような印象である。テレビ人間はテレビで活躍する方がベターであるという墓穴を自分で掘ったのではないだろうか。この映画は何故これほどの好評を得ているのであろうか。」
昨年作られた「おくりびと」と同じ程度の邦画(例えば、「アフタースクール」)も存在すると思うが、「おくりびと」が予想を越えて米国アカデミー賞まで受賞するほど高い評価を受けたことは次の観点から特に嬉しい。①納棺師という意外性のある企画は、主演の本木雅弘氏が15年間温めてきたもので、本当にボトムアップの独立系のユニークな映画で、また彼の演技とプロデューサー能力は本作の要である。②ユニークな題材を誠実に映画化すれば、米国アカデミー賞にまで届くという実例を示したこと。逆に言えば、「日本的」という表現は好きではないが、ある独自文化の中から普遍性を引き出すことこそが国際的に通用する条件であることを示したこと。
しかし、残念ながら、この一事を捉えて日本映画の復活と考えることはまったくの間違いで、日本映画界の抱える問題は遥かに深刻である。