映画「いまを生きる」

必要があり、久しぶりにDVDを観ました。何度観ても、傑作は良いものです。
アメリカで行われた「起業を教える人のための講習会」に参加されたある教授から、「いまを生きる(Dead Poets Society)」が教材に使われたとの話を伺って、観ることにしたのが初めてであった。あらすじは、次のようになります。バーモントの全寮制の有名進学校に、同校の卒業生でもある新任英語教師が着任してきます。伝統と規律に縛られ生活を送る生徒達に「いまを生きろ。先入観にとらわれず、自分自身を信じろ」と教える。「机の上に立ってみろ。世界が違って見えるから」。七人の生徒は、新任教師の「死せる詩人の会」という同好会を復活させ、自分の感性を信じ、自由な行動を取り始める。親からハーバードの医学部を卒業して医者になることを期待されている生徒は、演劇に目覚め主役を好演するが、父親から叱責され、自殺してしまう。規律と名声を気にする学校は、新任教師を解雇する。教室を去る教師の背後で、一人、また一人と生徒達が机の上に立ち上がる。他方には、立ち上がらず、受験教科書に眼を通し続ける生徒の姿も観られる。「Thank you, boys. Thank you.」とつぶやく新任教師。このラスト・シーンは映画史に記録されるべき傑作であると思う。アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞した本作は、教育の何たるかを示した名作であると考えております。これまで述べましたこととの重複がありますが、「いまを生きる」から学べることを整理してみたいと思います。
一、 知識の切り売りだけでは教育ではないと考えるが、教師の人生観を強く押し付け過ぎると、予想以上に学生を追い込んでしまう可能性があること。換言すれば、学生が自由の翼を信じて大空への飛翔を試みた時、翼が溶けて下に落ちてしまっても、何人の教育者がその責任を取れるだろうか。(「起業論」の教師に本作を観せたことの意図は、リスクが高く失敗する可能性が高い「起業」や映画制作に無理をして挑戦しなくても良いのだ、ということを学生に言ってやるべきであるとのメッセージと受け止めております。)
二、 親の価値観(「医者=アリ」の方が、「役者=キリギリス」より望ましい職業である)を、子供に押し付けるべきではないこと。(私は、長男を失わずに済んだことを感謝すべきであろう。しかし、映画監督というキリギリスの道を選んだ次男は、未だ自立できないでいる。)
三、 学生の受け止め方は、区々であり、自由に生きることに目覚め、それを有効に活用できる学生もいれば、知識の切り売りを求め、教師がそれ以上に立ち入ることを嫌う生徒もいる。(これは期末の授業評価を見ていると良くわかります。)
四、 教えることは、教えられることでもあります。だから、真剣に教えるのです。(新任教師の最後の言葉に、良くそれが表現されていると思います。)
五、 蛇足になりますが、欧米にはエリート育成を目的とし、これだけの設備や教師を抱えたボーディング・スクールがあります。体臭が違いすぎ、私が学びたい場所ではありませんが、欧米のエリートの多くは、このように巷を低く見るような選良教育を受けて育つわけです。家内と長男はこのようなボーディング・スクールで教育を受けたわけですから、全員がエリートになるわけではありませんが。