「告白」

 「オールド・ボーイ」「親切なクムジュさん」「チェイサー」「母なる証明」等々、良く出来ているとは思うが、あまりにも毒々しく血の臭いのたち込めた韓国映画は、病的社会を反映しているのではないかという不気味さを感じてしまう。日本では、このような映画は作れないあるいは作らないと思っていたが、「告白」は映画の恐ろしさと完成度の両面で一連の韓国映画をはるかに凌駕する作品を日本が作り出せることを示したように思う。
 簡単にストーリーを整理すると、シングル・マザーの中学教師の娘が、研究に打ち込むために母親に捨てられた少年A,甘やかし放題に育てられた少年Bの二人にプールに放り込まれて殺され、松たか子扮する中学教師が少年法の枠を超える極めて残虐な手段で復讐するという話で、人非人しか登場しないところがストリーの売りであり、原作小説はベストセラーになった。
 才人中島哲也監督だけに本作の完成度は映画史に特筆されて良いレベルだと思うが、それは病める社会にして初めて打ち立てられる金字塔であり、ここまで病的な人間観がベストセラー本になり、それを「エンターテイメント映画」として売り出し、興行的にも大成功ということは、病める日本のひどさの反映なのだろうかと心配になってしまう。あるいは、この映画を正当に消化できるまで日本の文化水準が高くなったことの証左なのであろうか?後者であることを願うが、それでも「おくりびと」を創作する人々とは友達になりたいが、「告白」や映画の程度は落ちるが「アウトレイジ」を創作する人々とはお近づきにはなりたくないという反応を多くの外国人には持たれてしまうのではないだろうか。心配しなくとも、日本人が韓国映画と「罪と罰」のラスコリニコフを混ぜ合わせたような中学生コピー版を作ったで片付けられてしまうのであろうか。
 Yahooの映画サイトのレビューや原作の読者の書評を見ると、「不快極まりない」とする意見が相当に高い比率になっており、日本社会の健康判断指数といった趣がなくもない。
 本作の対極にある善人しか登場しない「Railway49才で電車の運転手になった男の物語」という大人のメルヘンが好評上映中であるのは、社会の好ましい多様性の反映なのかもしれない。但し、映画の出来としては「告白」に軍配を上げたい。