イギリスの夏(4)

 イギリスに滞在中に、銀行勤めをしていた頃の部下とその家族に久しぶりに再開した。彼は、ケンブリッジ大学の数学科を卒業し、新入社員として入社してきた。英国訛りの英語が印象的であったが、それ以上に強く印象に残っているのが、入社早々に「新聞紙はじめリサイクルできるものがあれば、私がリサイクルしますのでご連絡ください」と部内に宣言したことであった。空手の有段者で、性格も素直な立派な人物であり、日本の教育ではなかなかこのような人物は作れないと思ったものである。その後、大学が同窓のスコットランドの女性と結婚し、数年間銀行に勤務し、ケンブリッジ大学の経済学大学院で勉強するために退職した。その後もクリスマス・カードで近況を報告してくれ、非常に優秀な成績でケンブリッジの経済学博士を終え、現在はロンドン大学労働経済学を教えている。名門ケンブリッジで本当に博士号を終了した日本人は極めて少ないはずで、彼のお兄さんもインペリアル・カレッジを卒業、日本の有名メーカーを退社してイギリスで働いているから、ともに頭脳流失と言ってもよいのかもしれない。彼も41歳になり、4人の子供の親になっていた。英語で彼にキチンとした経済学の授業をする機会を提供する日本の大学は多くないので、日本の大学に戻る可能性は高くはないだろう。今回は会えなかったが、英国で大学教授をしている元部下がもう一人いる。彼はスタンフォードの恩師であるアロー教授から、金融工学は独立した学問として成立してないから専門であるゲーム理論に戻るべきであると言われたことから退職し、イギリスに渡った。
 私の夢は金融技術で世界をリードする銀行を作ることであったから、優秀な人材を集め、教育をしたつもりである。しかし、それらの人材の相当数が銀行を辞めてしまった。誇れるかどうかは判らないが、これ等の元部下達から10人を越える大学教授が育っている。勝手に育ったといったほうが良いのかもしれないが、海外や国内の大学院への派遣留学や研修の機会を提供したことは事実である。イギリスの2人の他、東大、立命館、明治、早稲田、慶應、青学等々、出藍の誉れで、皆さん私よりまともな大学で働いている。彼らが辞めることなく働き続けることを希望するような銀行でありたかったが、金融技術革命は文系主体の古い体質の銀行には理解出来ない革新的な変化と問題であった。それどころか、私は彼らの退職に関しては管理者責任を取らさせたことであろうし、怠け者で小ズルイ部下の泣き言を利用して「部下に厳しすぎる管理職」とのレッテルを貼られ、私自身も不本意な処遇を受けたと思っている。このような企業風土が、日本を代表する銀行があっけなく崩壊していった一因であり、もっと広げて言えば日本の失われた20年の一因であることは間違いない。心底残念ではあるが、失われた時は戻らない。