佐藤優「国家の罠」

 鈴木宗男有罪確定を機会に、積読になっていた本書を読むことにした。5年も前から評判になっていた本書をなかなか読む気にならなかったのは、直感的に信用できる本ではないと感じていたことと読みにくい文章であったことによる。「講釈師、見て来た様な嘘を言い」と言う言葉があるが、国家の情報収集活動や拘置所内部のように実態を知る人間が少ない分野について、講釈師の話を鵜呑みにしてしまうことは危険であり、特に講釈師が自己正当化の必要に迫られている状況の場合尚更その注意が必要である。予想通り、本書は自己弁護や自己礼賛の言葉に満ちており、「国策捜査」に対する怒りより、根拠が自明ではない自己礼賛などの記述への不快感の方が強くなってしまった。
 人間40才を過ぎたら自分の顔に責任を持てと言うが、無罪判決を受けた村木厚子厚生労働省局長と有罪判決であった鈴木宗男佐藤優の顔や発言内容、物腰などを比較して見ると、少なくもテレビを通して見る限り、相当に異なったものを感じさせられる。顔つきで人間が判断出来るのであれば、詐欺事件や美人の犯罪は無くなってしまうことになりかねないし、骨相学を研究したわけでもないから、軽々に断ずるべきではないが、66年間生きてきた人間としての経験から言えば、苦労に苦労を重ね過ぎた叩上げ政治家やノンキャリ外務官僚としての辛酸を舐め過ぎた人の中には、劣等感の裏返しで常識を超えた人物が混じってくる可能性があるように思われるし、それが顔や態度に出てくるように思われる。あるいは、判事、検事、外交官、上級官僚として真面目に努めてきた人々を知っているが故に、簡単に講釈師の弁に酔わされるわけにはいかないと感じている。真実は少数派の見解にあることが多いことも認めるが、難しい資格審査をクリアーしてきた検事、判事、外交官等々の大多数が、入り組んだ形で自己正当化を図るノンキャリ外務官僚や卑しさを隠し切れない政治屋の嘘を見破れないとは思われない。かなり公正な方法で選抜されているわが国の官僚制度を感情的な批判で崩し、いい加減でオポチュニストの政治屋、知事、市長達に権限委譲することは自殺行為であり、既に多くの悪例を見る事ができる。