「悪人」VS「インスタント沼」

 上映中の映画「悪人」はモントリオール主演女優賞受賞が話題にならなければ、観に行かなかったかもしれない作品であるが、上映中は完全に映画に集中させられたという意味では良い映画だと思う。このように考えさせるものを持った佳作が、興行的にもヒットし、YAHOOのユーザーレビューなどでも多くの支持を得ていることは、業界の苦しさを知るだけに嬉しいことである。
 「悪人」は、出会い系サイトで相手を求める多くの寂しい人々、他人を誹謗中傷することにしか精神の安定を求めることの出来ない連中、マスコミ受けする材料だけを人を踏みつけ取材し軽薄に毒々しく報道するマスコミ、キチンとした基礎教育と生活の知恵を欠き浮き草のように漂うだけの人々、そのような社会を愚直に真っすぐに生きようとする幸薄き人々等々、歪んでしまった現在の日本の縮図をうまくストーリーに仕上げていると思う。
 しかし、観客を真剣に考えさせてしまう佳作であるが故に、幾つかの不満が残ってしまった。主人公以外の人物は善人と悪人の白黒をはっきりつけてしまい、本題であるはずの一人の人間は悪人であると同時に善人でもあるという二面性の表現が不十分になってしまったこと。山の中で置き去りにされた娘が唐突に悪態をつき始めるのは不自然で、もうひとつステップが必要であること。主人公の二人が心を通わすようになるプロセスの描写が不十分であること。淋しい二人が求め合うのであるから、ラブシーンはもっと燃え上がるはずであること。等々が気になった。然はさりながら、今の社会の寂しさを描いたり、バス運転手の一言などジンとくる場面が少なくない佳作で好きではある。そして、YAHOOのレビューを読んでいると、予想以上に多くの人がこの深刻な社会派ドラマとも言うべき内容に感動しており、まだまだ真面目な日本人が沢山残っていることを感じさせられる。

 「悪人」を観て思い出したのが、三木聡監督・脚本の「インスタント沼」である。三木監督はある映画研究会でお話を伺ったが、軽薄、無責任といった印象で好きになれなかったし、追っかけのようなファン達が追従発言を続けたことも不快で、「亀は意外と速く泳ぐ」や「転々」もあまり感心しなかった。しかし、「インスタント沼」を観てから、このナンセンス・ギャグの脱力系人物は最近の日本の風潮を体現した才人なのかも知れないと思い始めた。つまり、非才の私であっても「悪人」のストーリーは思いつくことが出来そうであるが、「インスタント沼」のナンセンス・ギャグはとても思いつけそうにもない。「インスタント沼」が何を意味するかお解かりになるであろうか?このような脱力系ナンセンス・ギャグは、生活が豊かで、心配が少なく、平和ボケした人がたくさん存在する今の日本のような社会で初めて存在できる。下らないことの分析にうつつを抜かす「オアク文化」も同じ存立基盤が必要である。つまり、「悪人」は韓国などでも成立可能な小説であり映画であるが、「インスタント沼」は現在日本のユニークな個性であろう。ユニークで希少なものに価値があるとするなら、「インスタント沼」や「オタク文化」、ゲームなどが日本の価値ということになる。何を考えているか解らないような日本の若者の中には、自分らの個性やユニークな価値を理解している者がいるのかもしれない。そうであって欲しいものである。