映画評論家への道

 映画評論家になるには、1万本の映画を観ることが必要だと聞くが、私が観た本数は未だ3千本位だろうか。また、2本が加わったが、問題は同じくらいのペースで忘れ始めているように思われることである。

廣木隆一監督「ヴァイブレータ」 
 寺島しのぶがたくさんの賞をもらった映画ということで、取り合えず録画したが、拾い物の傑作であった。女性心理がドウとか、拒食症が云々といった各論は60台半ばのじいさんには解らないが、人生は皆旅人、孤独こそが人生だという観点で観たから、やたらと胸を打たれた。映画音楽には鈍感な人間であるが、これほど効果的に音楽を使った映画も珍しい。
 主演の二人が大変な名優であることも認識させられた。「キャタピラー」の寺島はまだ観てないが、美男美女そして多分それだけの両親の子供として生まれた特に取り得の無い女性、梨園というどうしようもなく歪んだ世界に生まれてしまった反発からか、寺島しのぶはとんでもない名優に成長して行くのかもしれない。裸もセックスも日常事であるから、騒ぐ方がオカシイわけであり、寺島はそれらの子供っぽさを超越してしまっているのではなかろうか。そんなクダラナイ事を思いめぐらしながら、観ていたから余計に面白かった。
 少数の観客をターゲットに、このような素晴らしい低予算映画を作ることができれば、独立系映画制作も可能ではないだろうか。まあ、シネカノンが本作に関係していたことは歴史の皮肉ではあるが。

河瀬直美監督「七夜待
 これは、タイの美しい田舎に、美しい女優とゲイのフランス人を置いたら、何が起きるかを写したドキュメンタリー映画であると開き直られると、すべてを肯定して観ざるを得なくなる。存在し、起こったことを写したのであるから、スト-リーや脚色がどうとか議論する余地は無くなる。したがって、本作を否定するか肯定するかしかない。これが河瀬映画の評価が割れる原因のように思う。
 タイにはビジネスで何回も行ったが、植民地化されたことのない仏教国であり、都会を離れた田舎には本作が切り取ったような諸行無常の雰囲気を感じる。言葉が共通だから当然に通じ合えるものでもないし、言葉が通じない状況でのコミュニケーションの感触を本作はうまく描くことに成功していると思う。
 総じて、何となく心に残るものがある映画である。