映画評論家への道(2)

バタバタと時間が過ぎていったが、気になっていた韓国映画DVD2本を観た。

①「息もできない」
 昨年の東京フィルメックスでグランプリを受賞した作品。 
 映画の暴力シーンを観ながら、悲しみの涙が滲んできたのは初めての経験である。
人は経験から自己表現の術を学ぶ。暴力しか自己表現の手段がない環境で育てば、本当の悲しみや愛情の表現も暴力でしか表現出来ないのだろう。
 暴力で自己表現をすることはしないが、感じるままを素直に表現出来ない人は、私ばかりでなく、沢山いるに違いない。本当に心配しているが故に素っ気無い言葉しかかけられなかったり、愛しているが故に近づくことが出来なかったりする。韓国映画は暴力と血が好きで、本作も毒々しいまでに暴力と血を使っているが、北野映画のようなニヒリズムを気取った暴力の無意味な使い方はしていない。
 それにしても、韓国は戦後の日本映画の絶頂期のように優れた映画を作ってくる。長い不幸な歴史の出口に坂の上の雲を見ているからであろうか。坂の下の泥沼を見ているような国の住人として、羨ましくもあり、わが身が情けなくもなる。

②「牛の鈴音」
 韓国で大ヒットと伝えられたドキュメンタリー。 
 美しい叙事詩であることは認めるが、期待が大き過ぎたこともあり、年寄りの私にとってさえ退屈だった。NHKのドキュメンタリーには、もっと優れたものが沢山あると思う。テレビの作品に負けるようでは、誰もカネを出し時間を調整してまで、映画館に足を運ばなくなってしまう。
 いっしょに観た「息もできない」が大変素晴らしい韓国映画であっただけに、本作が韓国で大ヒットしたことが不思議である。