国家・民族と個人

 先日、来日したばかりのアメリカ人から「あなたが総理になって、いったい日本の何が変わるの」という唾棄すべき題名の本について聞かれた。私はこの本を読んでもいないし、触ってすらいない。内容など二の次で、このタイミングで出すべき本ではない。「お母ちゃまのお金で政治ゲームをやっている独りよがりのお坊ちゃま」の後の難しい時期の総理大臣が「小遣い稼ぎにとんでもない題名の本を出す悪妻のコントロールも出来ない男」で大丈夫なんだろうかと言われている様で、たいへん不愉快であり、情けなくも思った。案の定、アキカンと言われ始めた。

 「442 日系部隊・アメリカ史上最強の陸軍」というドキュメンタリー映画が上映されている。東京映画祭で観、しばらくして「ジャパニーズ・アメリカン」というTBS開局60周年記念ドラマも観た。TBSドラマも橋田壽賀子原作で悪くはなかったが、ドキュメンタリーである「442 日系部隊・アメリカ史上最強の陸軍」の方に重みを感じさせられた。留学中にカリフォルニアで知り合った多くの日系アメリカ人、ウォーター・ゲート事件の議員喚問で堂々とした応答をしていた442連隊OBのダニエル・井上議員(現・上院仮議長)の存在などを通じて、442連隊の話は知っていたし、上記「ジャパニーズ・アメリカン」の放映で広く知られるようになることを期待している。歴史の流れに翻弄されながらも、堂々と信念を貫いたこれら日本人の姿に比べ、島国の内弁慶でしかない現在のリーダー達の姿は矮小で極めて醜い。
 オバマ大統領の肌の色が証明するように、現在のアメリカは人種問題をもっとも高度な形で解決している国である。日本人であることだけで差別すれば、ほとんどの州において差別したサイドが法律面だけでなく社会的にも罰せられることが実現されている。私の10年のアメリカ生活で、差別を受けたいやな思い出はなかった。442連隊の存在もアメリカが人種問題解決に尽力している原動力のひとつだと言われている。
 しかしながら、1990年頃をピークにアメリカに限らず、ほとんどの国における日本人への評価は下落を続けている。これは日本に住んでいる日本人の不甲斐なさが原因である。世界観を持たず、コップの中の争いを続ける自浄力のない国日本の情報は、考えている何倍ものスピードで世界に広まってしまう。日本の評判が落ちることは、グローバル化した世界では、直ちに個々の日本人の評判を落とすことにつながる。国を離れると、嫌でも属する国や民族から個々人に対する認識が始められることになるからである。442部隊の存在は、日本人全体への信頼の捨石のひとつを形づくってくれたと思う。しかし今、その信頼を自らの手で壊しつつあることを日本人は認識すべきである。