マイケル・ルイス「世紀の空売り」

 80年代半ば、証券化商品開発担当として投資銀行の聞き取り調査を行った。不思議だったことは、ほとんどの投資銀行証券化商品開発責任者が元ソロモン・ブラザーズ勤務経験者であり、しかも品格にかける二流アメリカ人といった印象を持たされ、高度な数理分析に裏付けられたMBSやCMOといったハイテック商品との違和感を覚えたことである。
 この違和感は、1989年にM.Lewis"Liar's Porker"を読んで氷解した。ウォール街に対する反感が強いアメリカではあるが、これだけ中身が濃く、金融技術革命の本質を抉った本がベストセラーになったことは驚きでもあった。M.ルイスがソロモンで見聞したことを纏めた本であったから説得力があり、住宅ローン証券化商品が大商品になった本当の原因は、80年初頭の$金利急騰による住宅ローン貸出金融機関ALMの破綻、そしてその救済策としての損失の過年度税金からの回収が認められた結果、貯蓄銀行の大半が逆ザヤの住宅ローンをソロモンに証券化商品の材料として売却したことにあり、ほとんど不可能と思われる住宅ローンの期限前返済オプションの価値分析などは、気休めに近くても十分であったということである。それ以来、金融技術の限界とそれに対する猜疑心を失ったことはなかった。

 既にこのブルグにも再三書いたが、金融技術との接点が長い私にはサブプライム・ローン問題の背景を理解することは困難ではない。しかし、確認できなかったことは、何故これほどまでに大きな問題になり、投資銀行AIGが次々に破綻していったかということであった。昨年12月7日のブルグ「J.テッド 愚者の黄金の書評で『本書はJPモーガンの情報に依存し過ぎた結果、モーガンの観点が前面に出て、相当に偏った本になっていると思われる。バンカーズ・トラスト(ドイツ銀行救済合併)のように本当のパイオニアーであった連中は何をしていたのか?レーマンAIGなどはどのように考え行動したのか?等々の問題の欠落はバランスを欠いていると言わざるを得ない。』と書いた」昔からAIG/FPはリスクの高い取引に積極的であったし、投資銀行も儲かれば相当酷いことをやるし、格付け機関の程度が低いことも知っていたが、CDSや信用リスクをどの程度どのように理解していたかを確認することは出来なかったし、多くが語られていない。本書はその解答を与えてくれた。投資銀行AIGそして格付け機関などが、信用リスクの難しさをほとんど理解してなかったこと。CDSが信用リスクのショート・ポジションを作り出す画期的な機能を生み出したわけだが、投資銀行以下その意味を理解した人間が極めて少なかったこと。信用リスクの相関分析や分散効果は、ほとんど実証研究されていないが、その仮説を金科玉条にカネ儲けに邁進したこと。FEDのグリーンスパン前議長、投資銀行AIGのトップは暴走を許したのではなく、暴走していることを理解する能力が欠けていたということ。
  
 本書は、M.ルイスが再び金融実務のもっとも重要な歴史的スキャンダルの本質を抉って見せた。"Liar's Porker"から20年、バンカーズ・トラストの破綻、LTCMやエンロンマドフがあったにも拘らず、私利に目のくらんだ米国金融界は高度化した金融技術の本質と限界を理解せず、暴走し、世界危機を招いたということである。整理が悪く読みやすいとは言えない本書ではあるが、極めて重要な事実を提供してくれている。