S.パタースン「ザ・クオンツ」

 M.ルイス「世紀の空売り」が、これまであまり書かれることのなかったアメリカ金融業界の言われているほどの能力がなく、言われている以上に強欲で利己的な金融関係者の姿を描き出したことを高く評価したが、金融書としてはS.パタースン「ザ・クオンツ」の方が勝れている。パタースン氏はウォール・ストリート・ジャーナルの記者ということであるが、金融技術に関しては同誌のレベルは高いものとは言えず、更にレベルが落ちるファイナンシャル・タイムズの2誌が代表的な金融誌であることが、ここ30年の金融ビジネス混乱を大きくした一因にもなってきた。それを自覚して情報を集めて書いたから本書が面白くなったと思う。
 金融ビジネスの混乱は、数理分析の解らない半可通の金融のプロを、数理分析しか解らないクオンツ(数理分析人)の作業を利用した悪賢い金融マンが食い物にしてきた歴史であり、本書は資産運用部門を中心とした後者の代表的人物像を追うことにより真実味を出している。邦訳の副題に「世界経済を破壊した天才たち」とあるが、これはミスリーディングで、クオンツの多くは天才ではなく、大局観のない蛸壺型の人間の方が多い。彼らは、「この相関係数をXとすれば、数学的な答えはYである」としか言わず、信用リスクを代表に、データ・ベースがそろっていない世界では、説得が十分に高いXは存在せず、したがって信頼できるYも求められない。この結果、限られたデータ・ベース、例えばクレジット・カードの支払い遅延を3回以上起こした借入人が住宅ローンを遅延するこれまでの実績は20%であるといったデータ・ベースしかない場合、これまでクレジット・カードを拒絶され続けてきたメキシコからの不法滞在者の信用リスクを良好なものと評価してしまうといった類である。
 金融技術革命の最大の発見の一つはヴォラティリティに価格をつけることであるが、ヴォラティリティは将来の不確実性(リスク)のことであり、神以外には不可能な作業である。ヴォラティリティや相関関係のように、これまでの情報が参考情報以上のものでしかない数値を仮にXとすれば、答えはYであるとするのがクウォンツで、それを理解した上で金融ビジネスをポーカー・ゲームのような博打場にした連中が本当のワルであり世界経済を破壊した連中である。彼らが大金を抱えて引退しているのを知るとむかっ腹が立つと同時に、己の人生がバカに見えてくる。
 アメリカのファイナンス学界では、「この問題は数学的に答えが求められるような簡単な問題ではない」と言われ始めてから久しい。その意味では本書は周回遅れの内容ではあるが、更に周回遅れの日本では広く読まれて良い本だと思う。「仮にXとすれば、答えはYである」というクウォンツの世界は間違いなく復権する。最近の日本の金融専門誌が「愛知県の金融ビジネス」といった30年前の技術革新前の世界に戻ってしまったことは大変憂慮されることである。クオンツは天才ではないが、バカでもない。