年末、年始の焦燥感

 年末から年始にかけては、私の親に子供の相手をしてもらい、集中した時間を作ることが出来たから、銀行マン時代には山崎豊子さんの長編小説のように二日間くらいで読了できる本を読むことが多かった。最近は時間の自由度が高く、二日ぐらいの時間を作ることは難しくないので、このような正月の楽しみ方を意識しなくなった。
 この年末は、観たいものがあればDVDをたくさん借り込んでおこうかと近くのレンタル・ショップに行った。北野武監督の新作「アウトレイジ」と柴咲コウ主演テレビドラマ「わが家の歴史」などをレンタルした。「わが家の歴史」は8時間の放送時間と出演者が決まり、それを昭和史の中でごった煮にしたような作品で、大筋が整理されてないので、何を描きたいのか、ユーモア群像劇にしたかったのか、意図が解らなかった。二号さんとそれに寄生した家族という設定も、日本の典型的家族としてはナンセンスで、骨組みで失敗したテレビ大作だと思う。
 「アウトレイジ」は北野映画としては大変常識的な作品で、香港映画の傑作やくざ映画インファナル・アフェア」を彷彿させるダーク・ブルーの硝子を通したような映像は美しかった。相変わらずのニヒルを気取った暴力映画と言い切ってしまうことも可能であるが、外部からみると滑稽な価値観にしばられた狭い社会で命や意地を張り合うという虚しさを映画化しているのであれば、まだまだ古いしきたりに振り回されている日本社会、特に大企業の内部や政治の世界の人間関係に痛烈な批判をくわえているようで、従来の北野映画(除く「HANA−BI」)よりは建設的なものを感じなくもなかった。しかしそれにしても、ストーリーの構成はまったく単純で、北野監督がヨーロッパを中心に何故このように高く評価されるのかを納得させるには十分ではないと思う。特に、いっしょに借りた「トラブル・イン・ハリウッド」という映画プロデューサー映画との対比で、「アウトレイジ」の評価は更に混乱してしまった。
 「トラブル・イン・ハリウッド」はハリウッドの内幕映画で、映画制作プロデューサーの教材として観たが、主題のひとつが制作中の映画の暴力シーンの是非である。エンディングで、主人公が拳銃で殺害される劇中劇であるが、殺人のシーンがクドイ上に、主人公の犬が血しぶきとともに射殺されるシーンの是非が争われた。事前試写ではこのエンディングが残酷であるという意見が91%、映画会社の社長も大反対、これに対して映画監督はこのシーンは自分の映画の命であると強硬に反対。Rデニーロ扮する映画プロデューサーはこの調整に苦労するが、結局失敗し、プロデューサーとしての地位を大きく低下させることになる。しかしながら、この暴力シーンより「アウトレイジ」の暴力シーンの方がはるかに残酷で、しかも殺し方も見本市のように多様である。北野監督は、「平和を祈念する映画も文科省推薦の映画も世間を変えるだけの影響力を持ち得ないのであるから、暴力映画だけ悪影響があると言うのは間違いである」と言われているようであるが、映画同様、多くの人は同感できない物言いである。
 「クレイジー・ハート」はジェフ・ブリッジスが落ちぶれてドサ廻りするカントリー・ウエスターンのシンガーを演じ、アカデミー賞主演男優賞を受賞したヒューマンドラマ。ウエットで身につまされる話も多く、結構感じ入ってしまった。前向きで暗くならないエンディングはやはりアメリカ映画であった。
 墓場に行くまでにとても読みきれないだけの本が積読になっており、あと少なくも7000本位の映画を観ないと映画評論家にもなれず、書いている原稿の筆も進まず、孫とも十分に付き合えない。相変わらず、焦燥感の多い年末、年始でありました。