「太平洋の奇跡ーフォックスと呼ばれた男」

 何故この映画を、今、制作するのか解らなかったが、観なければならない映画だと思っていた。1982年にアメリカ人の手になる原作が出版され、それ以来映画化を考えてきた奥田プロデューサーが紆余曲折の末に、太平洋戦争開始から70周年をとらえて映画化に踏み切ったということである。
 特定の場所と時間に観客を集める興行を前提に映画を制作するのであれば、何故今なのかを示さねば、観客を集めることは難しいだろう。深刻な内容の本作が比較的評判が良く、興行的にもそこそこ成功しているのは、日本人であることに誇りを感じさせること、シニアーの支持が得やすいこと等が指摘されている。特に、歴史的にはネガティブな評価が多い太平洋戦争で、サイパン島の戦闘で米軍にFoxと恐れられた実存の軍人をアメリカの作家が纏め上げた点が注目されている。
 確かに、失われた20年、おかあちゃまのお金で政治を玩具にしたり、政治で金儲けをしてダダをこねる政治屋、やはり八百長の国技、生まれた時から人間国宝のやりたい放題等々、とても誇りを感じることができない我国になりつつあるので、惨敗の戦争で筋を通した人物の話には胸を打たれるはずである。しかし、本作を観ているうちに、主人公の姿は北朝鮮の軍人や民間人が「将軍マンセー」と言って最後までロボットのように戦わさせられるだろう姿とダブってしまった。あるいは、北朝鮮と中国人民軍は米軍を本当の恐怖に叩き込んだ事、ベトコンは近代兵器の米軍を叩きのめした事、アフガンもイラクも思うように制圧できない米軍、等々を思い浮かべると、そんな米軍に大敗したわが国の敗残兵の何人かが立派であったからと言って、日本に誇りを持てと言っても、良く考えると無理があるはずである。
 67歳になった私は日本人であることを誇りに思っている。誇りに思い始めたのは、71年に米国に留学した時が最初である。私が「日本では」と言い出しても、当時のアメリカ人達はほとんど興味を示さなかった。しかし、インドやインドネシアからの留学生達は、明治以降の日本の近代化を絶賛してくれた。80年代にアメリカで勤務するようになると、日本に対するアメリカ人の姿勢が明らかに変化し始めた。80年代後半から90年代前半にかけては、日本人ビジネスマンの私が何かをいうと、学ぼうとして耳をかたむけてきた。この変化を生み出してくれた日本人は、頑張った敗残兵でもなければ、政治屋でも官僚でも学者達でもない。黙々と工夫を重ね技術を磨き、20年以上海外に在留し工業製品を売りまくってくれた輸出製造業関係の皆様である。この方々が苦労して稼いでくれた外貨が溜まり過ぎた時、金融、保険、証券、政治、行政等々の世界を知らない三流どころの関係者がバブルを生み出し、不要な土木工事にカネを捨ててしまい、失速させてしまった。つまり、日本人が誇りに感じるべき同胞は、輸出製造業のエンジニアーやブルーカラー達であり、ジャパニーズ・ビジネスマン達なのである。
 仮に、このまま経済戦争に敗れた時、敗れたものの、日本には素晴らしいエンジニアーやブルーカラー、ビジネスマン達もいたと外国人に書かれることになるのであろうか。自分の価値を自覚し、自分を調整できないことは、本当に残念なことである。
 肝心の映画として考えても、観てよい映画ではあるが、本作の完成度は特に高いとは思われなかった。特に、主人公がFOXと呼ばれるほどすごい人物であることが十分には描き出せていないと思われる。