重要性の原則

 会計原則のひとつに「重要性の原則」というのがある。会計処理の効率性、迅速性などを担保するべく、金額が少額であるといった観点から判断に重要な影響を与えないと考えられる取引については、会計処理を省略するとか簡便な方法に従うことを認めるという考え方である。
 在日外国人から外務大臣や総理大臣が25万円とか100万円程度の政治献金を受け取っていたことは、国家的重要事項なのであろうか?何時間も国会や公共メディアの時間を使い、辞任をしなければならないほど日本を左右する問題なのであろうか?
 事の軽重が判断できず、形式的「悪」をヒステリックに追求し、自国の防衛、経済問題、財政問題等々の重要課題は考えないので判断できないという衆愚の国が相手にされるはずがない。日本人を妻とし、日本への理解が深い米国の外交官さえ、日本の優柔不断さと無責任さに愛想を尽かしてしまい、言わずもがなの発言をしてしまったわけで、問題は彼にあるのではなく、衆愚の日本特に三流以下のマス・メディアにあることは自明ではないだろうか?朝日新聞が首相の政治献金をトップ記事にして煽ったようであるが、朝日は中東情勢や中国問題、深刻な経済問題等に関してどれだけ重要な情報を流し、国をリードしてきたのであろうか?宣伝広告に埋め尽くされた朝日や読売が世界のトップ・クラスのメディアから遅れていることが、この国を衆愚国家してしまった原因の一つであろう。菅首相も情けないとは思うが、大半の重要問題は自民党政権時代からの積み残しであり、鳩山、小澤が撒き散らした無責任極まる空手形と放言である。今次の政治的混乱の最大の罪人は味噌も糞もいっしょに報道し、形式的な悪や罪を針小棒大に報道し、重要な問題に関しては肝心の情報を持たない日本のマスメディアの責任は非常に大きいと思う。
 蛇足で言えば、政治家の微細な献金問題を嗅ぎ回る人材と時間があるなら、紙媒体メディアを駆逐している情報革命にどのように対応するかといった新聞メディアの在り方を真剣に検討しないと、朝日も読売も消え去ってしまうはずである。苦し紛れに、下らない報道を続ける時期ではないほずである。