日本人はどのように見られているか。「ザ・コーブ」

 和歌山のイルカ漁を告発し、アカデミィー賞を受賞したドキュメンタリー映画「ザ・コーブ」がDVDになり、やっと観ることが出来た。偏執狂的なものを感じるが、観客の目を意識し計算し尽くした儲けるためのドキュメンタリー映画で、日本人が騒ぐことまで計算に入っているような不快さと狡賢さは否定できない。イルカも含む鯨問題については、「白鯨」の時代に油を採る為に沢山の鯨を殺し、そこらじゅうに捕鯨博物館を残した連中の子孫どもが、今頃になって正義は我にありと言っていることに自己矛盾を感じないのだろうか?「モビィディック」の時代の鯨1頭は、存在したはずの子孫である現在の鯨何頭に相当するのであろうか?イルカ使いとしてイルカを虐待して財産を作った男が、泡ゼニで遊んで食えるような仲間とその金で、異常に執念ぶかい映画を作ったわけだが、アカデミィー賞をもらう程度には面白く作っていることは認めざるを得ない。日本の漁師の意見をいっさい紹介せず、反対意見はまともな意見として受け止めることが出来ないように編集し、水俣水銀問題をイルカの水銀問題と同質に置くといった扇動的編集は大いに問題であるが、あまり深く考えることをしない観客を扇情するには大変効果的である。
 本作の一方的な編集に怒りを感じられる人で「レイプ オブ 南京」という数年前の英語ベストセラー本を読まれた方がどの位おられるのだろうか。中国系アメリカ人女性が、日本軍の南京虐殺を材料に書いた安っぽい本ではあったが、印象的な写真もあり、日本軍の残忍さを強烈に印象づけるものであった。紆余曲折を経て、結局この本は日本語で出版されないままになってしまったが、「ザ・コーブ」以上に日本人のイメージを悪くしてしまった。この本を読んだ後、日本人である私と距離をおくようになってしまったアメリカの知人すらいる。「レイプ オブ 南京」は日本語出版されるべきであったと思うし、それとの比較で言えば、「ザ・コーブ」を日本人が自由に観る事が出来る展開になったことは好ましいことであり、多くの日本人が観て考えるべきものがある映画だと思う。この映画に反発する声が日本では大きかったわけだが、この程度の映画を観て、自己否定に追い込まれ、懺悔したくなるほど知的レベルの低い日本人はあまりいないと思うし、そのような国であって欲しい。騒がれた「靖国」というドキュメンタリー映画も同様である。
 臭いものにフタをするように、都合の悪い本や映画の公開に反対することは、日本人が気が付かないうちに、日本人が臭いものであることを宣伝されてしまうわけで、まったくの逆効果である。不当に非難されたり、誤ったイメージを伝えられえているのであれば、本や映画といった同じような手段でベターな作品を作り、明確に反論を示すことこそ望ましい対応であろう。ケンタッキー・フライド・チキンの鶏が如何に近代的で合理的な手法で虐殺されているのか、日本人や中国人に牛肉を食わせるために米国穀物メジャーがどのように情報操作をしているのか、コーラという得体の知れない飲み物の正体は何か、高級ワインは本当に上手いのか等々、題材には事欠かないように思われる。しかし残念ながら、「クイーン」「英国王のスピーチ」のように、王室を素晴らしい映画の題材に利用できる老獪な国に比べると、日本にはまだまだ触れることが難しいタブーが多く残されており、これはこの国の知的成熟度の不足を示していると思う。