善意か、それとも地震デリバティブか

 東北大震災には、数限りない悲劇と多くの小さな善意が錯綜しており、何度も泣かされている。今晩も被災地に缶詰パンを無料で届ける「パン・アキモト」の話に感激し、義捐金を送金したところである。少額の義捐金位しか能が無いから、もう何度目かの善意の義捐金になる。東電株の空売りで大儲けをして、全額を寄付できる当面のチャンスをボヤボヤしていて見逃してしまったことは誠に残念であり、チャンスの再来を待っている。
 
 地震デリバティブの商品化をトライしてきたが、ものに出来ないまま時間が経ってしまった。地震保険は既に存在し、全国平均30%程度の利用率になっているが、これは一定額以上の保険会社が負担できない支払いを政府が補給することにより成り立っており、補償金額も不十分であると言われる。
 損害保険が実損害額のてん補を原則とするのに対して、ある契約地点で一定以上の震度の地震が起きると損害の有無に拘らず支払いがなされることから便宜的に地震デリバティブと呼ばれる。似たようなデリバティブで既に存在するのが、温度とか積雪、降雨などをインデックスとする天候デリバティブである。自然リスク・デリバティブの面白いところは、リスクを売買する取引であることから被保険者にもなれるし、保険会社にもなれるということである。
 仮に、仙台で震度6以上の地震が起きると百万円支払う地震デリバティブを、年間5万円のオプション料(保険料)の見返りとして仙台市役所に売っていたとすれば、今次の震災で売り手は直ちに仙台市役所に百万円を支払う義務が生ずる。一年の間、震度6以上の地震が仙台で起きなければ5万円のオプション料が利益になるわけである。埼玉に住む私は、九州の住人に年間4万円のオプション料を支払い、埼玉に震度6以上の地震が起きれば百万円を受け取れる権利を買うことができる。
 世の中には、デリバティブがリスク調整の取引であるという本質を見落とし、馬鹿げた議論をしている人が多いが、地震デリバティブが定着すれば、ある地域の地震リスクを引き受ける保険会社の機能を提供する会社や個人が急増することになり、地震リスクへの対抗手段として強い武器になる。更に言うなら、地震デリバティブは事前の契約に基いた義捐金である。つまり、災害に遭わなかった人々が善意から義捐金を送り出すというシステムではなく、事前の明確な契約として地震デリバティブ取引により被災者が義捐金を受け取る権利が生ずるわけである。
 ウェットで情感あふれる善意の義捐金で事後的に被害をシェアーする現状か、クールに事前に災害リスクを調整する地震デリバティブ取引を活用する世界のどちらが望ましいのであろうか?デリバティブは保険に続き、人間が発明したリスク調整取引なのである。そして、地震損失を含む災害リスク保険社債として既に組み込まれた大口取引としては存在しているわけである。