古新聞・古雑誌

 夏休みで読まなかった一ヵ月分ほどの古新聞と古雑誌をやっと読み終えた。ひと通り目を通さないと空白の時間が出来てしまうようで、落ち着かないので、海外出張や新聞を読む時間が無いほど忙しかった時からの習慣である。
 リアル・タイムで情報が提供される時代に、新聞や雑誌の利用率は低下の一途を辿ることは避けられまい。しかしながら、利用者が能動的に検索し選択する情報と、情報に濃淡を付けられ、一定の期間に想起した歴史を一覧にして提供する新聞や雑誌には別の機能が存在するように思う。自分に興味のある事だけを自分に都合の良いウェイスで理解し続ける人間と、一定の価値判断でスクリーニングを受けた情報を天の声として聞き続ける人間との間には相当に相違した世界観が生まれるはずである。
 相当に時間をかけて読んだ古新聞・古雑誌ではあるが、改めて切り取るに値するほどの記事は多くはなかった。大地震被災者の苦悩、上滑りの復興策、そしてそれらの歴史的悲劇を覆い隠してしまう東電原発の惨状、世界景気に漂う暗雲と円高による我が国産業空洞化の懸念、馬鹿と利己主義者しかいないような政界、下らない情報を針小棒大に垂れ流すマスコミ、救いはなでしこジャパンが運んでくれたささやかな清涼感程度しかない。これが日本の現状であり、古新聞と古雑誌はそれを確認させてくれ、そして私をまた日本人の一人に引き戻してくれた。
 1億人以上がほぼ同じ価値観と言語を理解することに日本のユニークさがあると考えるし、それが明治維新以降の日本の成功につながったと思う。情報革命はその同質性を弱くすることは間違いないし、地方分権とか道州制と言った己を自覚できないデマゴーク達が日本の強さを崩壊させつつあるように思われる現在、大震災が日本人の同質性と団結力を引き戻してくれる結果になれば、禍が福をもたらしてくれることになるように思う。日本語を含め3ヶ国語を操る外国育ちの孫3人と日本育ちの日本語しか出来ないややひ弱な孫3人達との楽しかった夏休みを思い出すと、日本人であることの意味や強弱を自ずと悟らないわけにはいかない。