「スラムドッグ$ミリオネア」後日談

 5月4日の本ブルグに、「「スラムドッグ」という映画は、インドを舞台にしたことだけで、相当なドラマティック性を得てしまっているので、インドを選択し得られる自動的な加点部分を差し引くと、アカデミー賞を受賞した映画と雖も、どの程度優れていると言えるのであろうか」と書いたが、もう一歩踏み込んで、インドを利用しただけの映画ではないかとまで言いたい。

 多少割り引いて聞いた方が良いと思うが、後日談として、映画に出演した可愛らしい少女を養女に出し、もらった金をめぐって、少女の実母と育ての母親が取っ組み合いの喧嘩をしている様子をテレビ・ニュースが流していたと思ったら、今度は、舞台になったスラムが取り壊され、出演していた少年や少女の何人かが住む家を失ったという話である。更に、気の毒に思ったプロデューサー達が数百万円の寄付をしたら、子供達の親が「総収入260億円のヒット作の舞台になったスラムへの寄付金としては信じられないくらいに、少ない」とクレイムをつけているそうである。親達の言い分は良くわかる。
 まったく実体の無い会社が上場されていると言われるインドのことであるから、どの程度の割引率で聞いたらよい話であるか判断には苦しむが、子供を肥溜めに落としたり、眼を潰してより惨めな乞食にしてみたり、大きく引いた画面でインドのスラムを強調する映画の作り方は、普段はパブで飲んだくれている教養の不足したイギリス人が、インドにびっくりすると同時にそれを利用した映画をつくり、大当たりしても契約以上のことを貧しいインド人にしてやろうとしないでも不思議ではない。「恒産無ければ、恒心無し」だから、母親が取っ組み合いをするのもそうだろうと思われるし、260億円の収入が契約どおりに分配され、ビバリーヒルに豪邸を建てる人も居れば、住む家も失う子役達が出てくることもそうだろうと思われる。それがアメリカが広めてきた強者に都合の良い狂信的自由主義・資本主義なのだから。