金融技術軽視への警鐘

 先日、ある金融専門誌の編集担当と話していて確信させられたが、最近の日本に於ける金融技術軽視の傾向には大変懸念させられる。この編集者に言わせれば、金融技術の論点は出尽くしており、この半可通以下の編集者も含めて理解は既に行きわたっており、金融はもっと地道な議論に注力すべきであることになるらしい。確かに、この人物が関係する金融専門誌を見ても、金融技術関係の記事を急速に減少させ、制度や個人営業などの身近な話題にウェイトを置き始めている。雑誌の売り上げを考えれば、メガ・バンクや野村、大手生損保を除くと、グローバルな視点と金融技術イノベーションを意識して活動している金融マンが急減してしまっているから、顧客に迎合すれば、知的刺激の少ない退屈な記事が主力になるということであろう。しかし、最近のNHKスペシャル「マネー資本主義」を見ても首をかしげるような出来ばえで、数年前のNHKスペシャル「マネー革命」の方が出来ばえは遥かによかったわけで、金融技術の論点が理解され、出尽くしているようにはとても思われない。しかも、このことは日本が金融資源大国でありながら、金融立国の道を自らで閉ざし始めていることになることに気付かねばならない。
 サブプライム問題の背景にある信用リスクや流動性リスクの問題も、データ・ベースが充実するにしたがい、まだまだイノベーションを続けることになる。ヘッジ・ファンド的運用手法や投資分析の分野は、わが国ではやっと行動科学も含めた金融技術的手法が実用化されつつある段階に過ぎない。今回の金融危機が過去のものになれば、世界のブライト&グリーディな連中が新しい金融技術で新しい波を起すことは確実である。蓄積された資金を資金余剰の国内市場で健全に投融資することが不可能な状況は、80年代のバブル期の直前から今日まで継続しているわけで、世界最大の債権国、金融資源大国として、日本にベストの金融技術が要求されていることは明白である。この雑誌編集者に限らず、人当たりのよい半可通がリーダーの座に坐る傾向が強い日本では、ここ30年位で加速した変化や失敗から学ぶことができる人間が如何に少ないかを知るべきである。
 精密科学のような印象を与える金融工学への過信に20年間警鐘をならしてきた私として、今は金融技術軽視への警鐘をならすべき時期だと考えている。