「ガラスの巨塔」

本書を小説と思って読む人はいないはずで、将に今井氏の部分的自叙伝である。アングロサクソンの社会では、社会的に活躍した人物の多くが自叙伝をまとめ、当然ではあるが自己正当化を図る。対立した人物の自叙伝を読み比べることで、歴史がより正確に理解出来るようになる。これに対して、日本では自叙伝は例外的にしか纏められず、ある人間の人生を共通の教材として検討することがより困難になっており、日本社会から歴史の厚みを奪うことになり、「日本人の精神レベルは13才」(D.マッカーサー)と言った批判からの脱皮を妨げている。
 この観点から、この自叙伝として上手に書けているとは言いがたい本が、NHKの暗部を今井氏の観点から鋭く切り出したことは大変に意義深いし、面白い読み物になっている。「プロジェクトX」を含むNHKのドキュメンタリーは、わが国知的水準の底支えになっていると思うし、それだけでNHKの存在意義は認められる。犬猿の仲といわれる朝日新聞が広告の合間に記事があり、その記事もほとんどインターネットで提供されるものと差がなくなり滅びの道をまっしぐらに進んでいる状況を認識すれば、よりオリジナル情報量の多い映像情報に十分な予算を使っているNHKの使命は大きい。私が専門とする分野のマスコミ取材力でも、人材、特に予算の厚みはNHKが群を抜いている。
 それだけ期待をしているNHKの看板番組で、大好きであった「プロジェクトX」がこのようにいい加減に作られていたのであれば、大変な驚きである。NHKの取材の特色は、NHK社員一人に下請け2〜3人という構成に特色があると思う。多分、「プロジェクトX」も今井氏が人間として勘定してない下請けの取材班をカウントすれば、相当な人数が関係していたように思うし、そのことはチーフ・プロデューサーは単に担がれていた面があったに違いないことを意味していると思う。本書の特色は、何故か短い文章しか使っていないことと、それ以上に深刻な問題は筆者が自分のこと及び自分が感じたことしか書いていないことで、これが自叙伝として上手く書けていないという根拠であり、将に自己正当化を図り過ぎで本書を素直に読めないものにしている。小説であるという言い逃れは許されまい。そして、このことが今井氏の精神構造のあり方を暗示し、本書の額面に従い、全面的にNHKを批判する気にならない理由である。
 不朽の名作「プロジェクトX」の制作には、今井氏以外の沢山の無名の星が汗と涙を流していたはずである。「プロジェクトX」の歴史とNHKの真実の姿の理解を深めるために、ぜひ本書に批判的な関係者の方の本を読んで見たいものである。NHKの関係者にはその義務がある。