真山仁「ベイジン」

 中国問題を考える材料にツンドクとなっていた真山仁「ベイジン」を読んだ。読み出したら止められない面白さであったが、無理やりエンディングに持ち込まれた欲求不満と残尿感が残っている。日本の技術で中国に巨大な原発を建設し、北京オリンピックの開会式に間に合うように無理やり運転を開始しするが、事故発生で炉心融解になるか否かという瀬戸際で話が終わってしまう。
 高く評価する理由は、現在の中国の権力闘争、社会のあり方・考え方などを、大変批判的に率直に描いていることである。取材禁止処分などを恐れて多くのマスコミが現代中国の実像を伝えておらず、それが独断的な巨大新興国の虚像を作り出し、世界をミスリードしているように思われてならないが、本書は現代中国の抱える問題を得心できるように描いているように思う。中国で働いた経験のある人、中国からの留学生等々から聞いた本音と思われるコマギレ情報から推定できる中国の現状を遠慮なく描いている印象を受ける。ここまで歯切れ良く活字にしてしまうからは、取材情報に自信があり、中国の反発も覚悟しているはずである。中国問題はこの角度からもっとたくさん語られるべきであろうし、中国への対応も隠された面をしっかり押えて行われなければならない。
 80年代前半、しぶる本部を説得してアメリカの原発建設資金融資を推進した。しかし、その後、原発の配管のなかにコーラのビンが「やっと見付けたか」というメモとともに残されていたとか、左右対称の部品が左右逆の対称として工事されていたとかいった信じられないほど退廃したアメリカのモラルにびっくりさせらたものである。無責任な個人主義の行き着く先はそのようなもので、鉄道の両側が捨てられたゴミで埋められ、バレなければ何でもやってしまい責任を他人に転嫁する等々、自分の非を認めない個人主義という点ではアメリカと中国には共通した部分が多いと思う。失いつつあるが、自分の責任を全うして当然とする人間が多いことが日本の力であり、今でも米中両国よりは信頼に値する人間の比率は高いと思う。しかし同時に、日本には自分の頭で実際の便益を検討せずに、ことの流れや形式に拘る弱点がある。
 むかし、「チャイナ・シンドローム」という原発炉心融解をテーマにした映画があったが、本作がその可能性を持った事故の最中に突然終了してしまったという印象は拭えない。何か理由があったのであろうか。