トム・ハートマン「ADD/ADHDという才能」

 事業構想論や起業ファイナンスを教えていて、気になることがある。それは、新しい事業を構想する能力は、生まれつきのものなのか否か、どこまで教育できるものなのかということである。「天才は99%の努力と1%のインスピレーションからなる」とエジソンは言ったそうである。努力の重要性を説くためには、そのようであって欲しいと思うが、肌の色、背の高さ、目の大きさ等々、持って生まれたものが支配しているように思われることも多い。

 ADD(Attention-Deficit Disorder)、ADHD(Attention Deficit / Hyperactivity Disorder)、「注意欠陥・多動性障害」と訳され、多動性、不注意、衝動性を症状の特徴とする発達障害の一つと言われている。約束の時間に遅刻してしまいがちな人、 物事にこだわりの強い人、物事に集中できない人、やたら好きなことには集中してしまう人、片付けられない人、すばやい行動力とエネルギーのある人などに、この障害を持った人が見受けられるとされる。日本人の20人に1人程度といわれる大人のADHD(ADD)は、起業家、アーチスト、営業マン、芸能人、クリエイター、作家、編集者などに多いとされる。

 ハートマンは自分がADDであることを認めた上で、 ADDを農耕社会における狩猟民族に例え、従来は障害ととらえられることの多かったADDの特性を「才能」という視点で書いている。起業家であるウィルソン・ハーレルは「起業家の本質」の中で更に進めて「ほとんどの起業家は臨床学的にはADDだと診断されかねないのです」「起業家は狩猟民族遺伝子を大量に賦与されているのです」としている。ハーレルの筆は更に滑って「ADDは日本では稀であり、起業家もあまりいません。歴史的に見て、自由のために闘う必要があまりない農耕社会だったからでしょうか。」とまで言っている。

 ハートマンもハーレルも医学の専門家ではないが、面白い仮説であると思うので、今少し考えてみたい。