金融士

金融庁の発案で、「金融士(仮称)」資格の創設構想が打ち出されている。これも遅きに失した政策であるが、無いよりはマシな制度になることを期待したい。
40年前、公務員ではなく銀行に就職することにした時点で、プロ金融マンとして公認会計士の能力が必要になると考え、受験し合格した。次いで、国際金融の時代に入るとの読みから米国MBAに社費留学させてもらった。この辺を基礎に80年代前半のニューヨーク勤務では、新商品開発や米国企業との取引で目覚しい実績を残し、国際金融専門誌が次世代を担うアジア・太平洋地区の金融マン10人のひとりに選んでくれた。外国人の同僚や部下、業界人は素直に私の能力を評価した。営業成果が出せ、国際的組織経営の出来る「真のジェネラリスト」に成長している自覚があった。
これに対して、日本人社会は、出る釘を打ち、足を引っ張る対応を示した。会計士試験に合格すれば、「君は会計の専門家であるから」と言い、英語が旨くなれば「君は外国畑だから」と言い、金融技術の重要性を先取りし金融エンジニアーを育て上げれば「特殊技術部隊だから」とレッテルを貼った。投資銀行業務の基礎を築けば、「実績は確かにすごいが、部下などとの人間関係が問題だ」との話を流布させて、自分らの無能さと怠惰を覆い隠した。ゴルフの話や趣味の話にうつつを抜かし、人脈と称する仲良しグループでお互いを庇い合う「偽のジェネラリスト」たちは、金融の専門知識と世界的な広い視野を持った数少ない世界に通用する金融産業の「本物のジェネラリスト」たちを狡賢く隅に追いやったり、外資系に転職させてしまった。これが、金融資源大国になりながら、影の薄い存在でしかないわが国のここ40年の金融産業史の一側面である。
この体質がどこまで変わっているのだろうか?「金融士」構想の音頭をとっている金融庁を例に見ても、たかだか公務員試験に合格した程度の「偽のジェネラリスト」が、弁護士や会計士、金融エンジニアーを臨時職員に採用し、その上に君臨する体制が改善されたのだろうか?保険業務の監督官庁でありながら、アクチュアリー資格を持った保険数理専門の職員が確保されているのであろうか?
この問題は、金融関係に限ったわけではない。常に競争に晒されてきた輸出製造業以外のあらゆる日本社会に残されている。英語で内緒話が出来ないレベルの人間は、外務大臣や首相など国際的な業務やコミュニケーションが必要なポストを担当させないとするところから手をつけられるべき問題である。この風土が変わらない限り、「金融士」の専門能力が高ければ高いほど、特殊部落の烙印を押されるだけの制度になってしまうことだろう。そして、益々わが国の将来は暗いものになる。